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出血傾向は変わりません

今日は娘のことを書きますね。 やはり出血傾向は変わらないようです。 先週のことだったか、 気管切開した穴のところに肉芽ができて、そこからしばらく出血してたそうです。 いまは出血は止まっています。 皮膚が弱くなっていて、傷ができるとなかなか再生しない体質になっているようです。 ちなみにステロイドをずっと投与されています。 ステロイドって、普通はあんまり長期に使わないほうがいいものらしい。 抵抗力が弱っているからステロイドを使っているのか、ステロイドを長期に使っているから副反応で皮膚が弱くなっているのか、よくわかりません。 酸素はあいかわらず30%で入れてて、酸素飽和度は100まで行ってる。 どこまでがんばるのかな。 病院に入ってから2度目の年越しがくるよ。 ではー

生きてるだけでまるもうけ

「生きてるだけでまるもうけ」 たしか、明石家さんまさんだったか、もしかしたら他のだれかだったかが言った言葉。 どんな文脈で使われたかは、まあ、お笑い芸人なので、微妙なのかもしれません。 でも、突然この言葉が頭に浮かびました。 今日は、終業式の学校が多かったと思います。 子供が通知表を持って帰ってきて、その通知表を見ていろいろと考えることもあるかもしれません。 もしかしたら、もっと勉強しなきゃだめでしょうと、子供を叱咤激励する親もいるかもしれません。 算数の成績が悪かった子もいるかもしれません。 でも、決して子供を責めるような事を言ってはいけないと思うんです。(僕はね) 掛け算の九九ができなくたって、AKBのメンバーになれる子だっている。 自分の好きなものを見つけて欲しいんです。 出来ないというのも才能です。 (出典:斎藤一人さん) 学校の勉強ができないから、すっぱり勉強をあきらめて、中学を出て商売を始めて成功するヒトだって世の中には沢山いるし、お金はそんなに稼げないけど、好きな仕事をして気楽に過ごしている人もいる。 出来ない勉強を出来るようにがんばって、なんとなく出来るようになって、大学まで出て、就職をして、こんな仕事やりたくないって苦しむ人もいっぱいいるんです。 苦労はしなくていいんなら、しないほうがいいんです。 (これも 出典:斎藤一人さん) だから、「生きてるだけでまるもうけ」という言葉を思い出して、肩の力を抜きませんか。 ではー

最近の心の重石

最近は、あまり娘のところに行けていません。 以前は、会社に行く前に娘の入院する病院に寄ったりしていましたが、長期欠勤から復職してからは、毎日規則正しく、9時前に会社に到着するようにしているので、平日は娘に会いに行くことはなくなりました。 それででしょうか、娘と距離を置くようになったからなのか、娘のことで落ち込むことが少なくなってきたような気がします。 1年ほど前でしょうか、心の中にある重石について書きました。そのときの記事はこちら→ 重石 その重石には、角があって、日常生活のふとしたとき、思いもよらないときに、その重石の角が心に突き刺さって、苦しい思いが湧き出してきてました。 最近は、その重石の角が取れてきたような感じ。 今も心に重石はたしかにあります。だけど、ちょっと角がとれて、重さも少し軽くなってきたように感じる。 ----- 人の心には、いろいろな雑念があって、仏教では煩悩というようですが、人の死を悲しむということもこの煩悩のひとつという事のようです。(お坊さんが読者の質問に答えるというサイト hasunoha で読んだはずなのですが、スミマセン、ソースを探しきれませんでした。僕はあいかわらずいいかげんですね) 先ほどから書いている「重石」も煩悩なのかもしれません。 重石の角がとれて、小さくなって、やがてとっても小さくなって、悲しむこともほとんどなくなり、思い出に変わる。 煩悩がひとつ無くなる。 煩悩がなくなるというのは、あるものごとをあるがままに受け止めることができる状態といえるのではないでしょうか。 それが、「悟り」の状態だそうです。(こちらも、ソース行方不明) すべての煩悩から解き放たれると、解脱という状態に達する。 これはお釈迦様しかなしとげられなかったとも。 アーメン ではー

あおもり犬

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 写真は3年前に撮ったものです。 青森県立美術館にある「あおもり犬」 アーチストの 奈良美智さんの作品。 青森出身だそうで。 一度見る価値 あります。 冬に雪が降ると、頭に雪をかぶるようです。 僕は奈良さんの絵をスタバのタンブラーに入れて会社に持って行ってるのですが、今日その絵のことを同僚に聞かれまして、すぐに 奈良美智さんの名前が出てこなかった。 というわけで、改めて記事にしました。 ちなみにiPhoneの壁紙も奈良さんの絵を拝借してます。 ではー

これからのワークスタイル、どうしよう

正式に病気欠勤から復職して1ヶ月が経ちました。 試験出社を含めると2ヶ月弱です。 だいぶ生活のペースが出来てきたように思えます。 今の段階では、定時に帰るように産業医から命令が出ているのが助かります。 朝は息子の登校時間に一緒に家を出て、9時前には会社に着いて、定時になったらきっぱり帰り、毎日同じ電車同じバスで帰宅します。 今日、ぼんやりテレビを見ていたら、ある商社(伊藤忠だったかな)、で残業禁止にしたというドキュメンタリーをやっていました。 社長トップダウンで夜8時以降の残業を禁止にしたそうです。(逆に言えば夜8時までは仕事しろって事かと突っ込みたくなりましたが) 働く時間の長さより質だと言うことです。 社長が言うには、それまではフレックスだったので社員は朝10時くらいに出社してくる。朝9時にお客様の連絡に答えられないというのは、社会の常識からずれてきているのではないか。 という事でした。 夜遅くまで残業しているから、朝も遅めにずれてくる。それは確かにそうでしょう。 また、残業禁止を決めるときには労働組合からも反発があったようです。何でかはよく分かりませんでしたが。 その会社ではとにかく会議が多かったようです。特に夜の会議。 多分どこの会社でもそうでしょう。 僕の勤める会社でもそうです。夕方6時からの会議なんて当たり前です。 そういう会議を減らす工夫をしている様子をその番組では伝えていました。 でも、最後には、「あとは業績がどうなるかだな」、と社長はつぶやいていました。 残業を禁止にしたことによって業績が上がって欲しいなと思います。 僕は、自営業の家に生まれ育ったので、夕方には両親が必ず自宅に居ました。 仕事場が自宅にくっついているようなものだから当然なんですが、5時に仕事を終えて、7時には夕飯を家族で食べていました。 まあ、夜に次の日の仕込みを父親と一緒にやったこともありましたけど。 小学生の時から父親の仕事を近くで見てきたので、仕事のやり方は全部頭に入っている。同じ仕事を明日からやれといわれたら全部やれる自信はある。 なので、僕にとって、今のいわゆるサラリーマンのライフスタイルはなじめないのかもしれない。 ワークスタイルについては、僕自身がどうするべきか決めるべきときだと思う。 会社にあ

親友からのメッセージ

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うーん、 何百という千羽鶴をもらうより、一人の大事な親友からのメッセージを超えるものはないというのを思いました。 わけあって、娘の仲のよかった友達の交友関係を調べてました。 で、娘が入院してからの、学校の先生経由でもらった友達からの手紙を再確認したんです。 前から保管していたんですが、なんか友達に悪いような気がして、中身をちゃんと見ていなかったんです。 改めて見てみると、一番仲のよかった友達の手紙の封筒がぱんぱんに膨れるほど中身が詰まっているんです。 中には、その子が宝物にしていたと思われる小物のおもちゃ。 そして、娘が大好きだったAKBの前田敦子のシールがいっぱいいっぱい詰まっていました。(そのときは、まだあっちゃんは卒業していなかった。) どうやってこんなに集めたんだろうってくらいたくさん。他のメンバーが混ざっているのではと思って見てみたけど、全部あっちゃん! 手紙も入っていて、ここではあえて書きませんが、娘をいたわる文章がありました。 娘はこんな親友をもって幸せだったんだ。 そして、その友達に伝えたい、 今の娘は苦しみも無く安楽な状態だから心配することはないんだよ、友達でいてくれてありがとう、と。 では

ハートレート

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娘のことについて書きますね。 最近は、平日は定時に出社していて、出社前に娘に会いに行くということが出来ないので、どうしても娘の病院に行くのは週末ということになってしまいます。 土日は、息子もいっしょに行くのですが、息子が飽きちゃうんで、病室にいる時間は短時間になってしまいます。 ちょっと最近妻とも話していることがあります。 それは、娘の脈拍。 今は、パルスオキシメーターしかバイタルモニターはつけていないんですが、そのパルスオキシメーターでも、脈拍が一応とれるんですね。 こんなやつです。(ググッて見つけてきた画像で失礼します、そのうちリンク外れたらごめん) この画像では、左の数字が酸素飽和度、右が脈拍ですね。 こんなのがついているんですが、病室につくと、脈拍が100を超えていたりして、「レートが高いねー」なんて妻と話していることが多いです。 でも、しばらくすると、7~80台に下がってくる。 そうすると、実際どうか分からないんですが、僕たちが病室に来たことを娘が感じ取って、安心して脈拍が下がってきているのかなーなんて思っちゃうんです。 妻とそういうことを話すんです。 ほんとにそうなのかは、分からないですよ、でも、そう思っちゃう。 そして、やっぱり自宅に帰してあげたいなあと思うんです。 ではー

就学猶予という選択

娘は、いま小学校6年生。 ずっと入院しているので、学校にはまったく行ってませんが籍はそのまま6年生のクラスに所属しています。 先日、卒業アルバムをどうするかということで、小学校の校長先生とお会いしてきました。 その時に、中学校への進学についての話になりました。 このままだと、学区内の中学校に普通に進学することになり、普通のクラスの一員として、名簿に名前が載ることになります。 僕も、そうなるんだろうなあと思っていました。 しかし、絶対に通うことのないクラスに所属するのもどうなのかなあとも思っていました。 そこで思いついたのが、特別支援学級について。 娘は、身体障害者1級なので、特別支援学級に入るという手があるのでしょうかと、校長先生に話してみました。 すると、特別支援学級があるのは、隣の中学校になるとの事でした。 校長先生も、特別支援学級に入るとしたら、そのような方向もあるし、手続きのことも話してくれました。 ただ、特別支援学級は1クラスの定員が6名だか8名だかと決まっていて、うちの子が入ることによって、定員をオーバーしたら、クラスを増やすとか、場合によっては、別の中学校の特別支援学級を増やすことになる場合もあるとの事。 校長先生と話しているうちに、学校に通学することがない(できない)のならば、就学猶予というものがありますよという話が出てきた。 就学猶予とは、障害などでどうしても就学できない義務教育の児童・生徒を就学させなくてもよいという、学校教育法で認められている制度の事。 憲法で決められている教育を受けさせる義務を猶予してくれるというものです。 娘は、学校に行くことはもうない。 最初から学校に来ない生徒が名簿に載っている事を、他の生徒はどう思うだろうか。 そして、特別支援学級に所属させたとしても通学しないのに定員枠を一人分使ってしまうのは、社会リソースの浪費じゃないか。 そう思い、中学校からは就学猶予の手続きをとって、学校という場から娘の存在をなくす事にしようと思っています。 ではー

善きサマリア人

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ゴッホは、隣人愛を説くイエスの善きサマリア人の話を絵にしています。 模写だそうなので、元の絵があるのですが、それを書いた画家の名前は忘れました。 ロバに乗せられる傷ついた旅人は、私たち。 ロバに傷ついた人を乗せているサマリア人は、イエスを象徴しているとも言われています。 では

買物依存 リボ払いの恐ろしさ

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ほんとまいりました。 妻の買い物癖。。。 妻はうつ病なんですが、うつって波があるんですよね、落ち込んで何もする気がおきない時と、 ちょっと良くなる時を繰り返す。 ちょっと良くなったときに、大量の買い物をするんです。 妻はパートで働いていて、そこそこ稼いでいたから、買い物で発散するのは仕方がないかとは思っていた。 でも、2年前くらいの事件。 妻に渡している家族カード、これは日々の食料品とか生活必需品を妻が買えるように渡してあったクレジットカード。 あるとき、このカードの請求明細を見てびっくり、通販の買い物がびっしり。 2ヶ月間にわたって、合計してみたら25万円。 予兆 それまでに気配はあったんです。 僕が自宅でe-workをしていると、宅配便で荷物が届く届く。 1日で7つも届いた時が僕の知る最高記録。たまたま、僕が家で仕事をしていたときなのに、こんなに来るなんて。 当然妻には聞いてみた。買い物沢山しているみたいだけど大丈夫なのかと。 すると、妻は、「楽天オークションで小額のものばかりだから大丈夫」と。 でも、後で明細を見てみると、確かに数百円から2,3千円のものもあるけれど、 5千円を超えるもの、たまには1万円を超えるものがある。 チリがつもって総額25万円。 そもそも、自分の物を家族カードで買うのを内緒にしていたことに僕は憤ったんです。 自分のカードで買い物をしているとばかり思っていたから。 妻に問いただすと、「自分のカードが使えなくなったから」との答え。 つまり、そのときは既に妻のクレジットカードは限度額に到達していたということだ。 妻の部屋は、服や靴であふれかえっている。 服が無造作に積まれていて、ごみ屋敷のようだ。 妻は、使った分は返すからといって、毎月3万円ずつ僕に返済するようになり、 家族カードで自分の服などを買うことはなくなった。 あと1万円で、全額返済という時に、娘が脳出血で入院してしまった混乱で、最後の1万円はうやむやになった。 リボ使い込みの発覚 ただ、買い物の衝動は残っていたらしく。 しばらくして、 「お金がないの、いつもがんばってるからボーナスくれない?」 「いくら欲しいの?」と僕 「いっぱい」と妻 「いっぱいじゃ分からないだろ、10万円

試験出社終わりました

今日で試験出社が終わりました。 無事復職となります。これで長期欠勤も終わり。やっと通勤費がもらえるようになる。 試験出社中は緊張しました。休んだり遅刻したらやり直しって言われてて、そんな中、台風は来るし、子供は熱出すし。 思ったのは、みんな満員電車に乗って通勤してるけど、正直つらいよね。 なんとかならんのかな、あの満員電車。 お祭り電車に呼吸も止められ、身動きできずに、夢見る旅路へ、、、 今後は1ヶ月、残業禁止の勤務措置です。 ま、前から残業は大嫌いだったけどね。 とりあえず今日はこれくらいです では

試験出社折り返し

試験出社を始めてから、1週間。試験出社期間のだいたい折り返し地点。 今週月曜日からは、9時からのフルタイム。もちろん残業は禁止なんだけど、、、 疲れる。 前は当たり前のようにやってたんだけどな。 試験出社中は、9時の始業に遅刻しないようにしなければいけないってのが結構プレッシャー。 朝は、妻が起きてこないこともあるので、子供を学校に送り出すまでのフォローも自分で全部やらなきゃならないし。 子供がお腹痛いって言ってても、どうしようもない、熱もないし、僕は出勤しなきゃいけないから、普通に送りだした。 そしたら、夕方に妻から電話。 「息子が熱出して帰って来たんだけどー、病院連れて行かなきゃなんないんだけど、帰ってこれる?」 帰れませんし、その時間から帰ることができたとしても、医院の空いてる時間に間に合いません! 雨が降ればバスは遅れる。 電車も、なんだかよく分からない理由で遅れる。 普通なら裁量勤務なので、出勤時間が少し遅れたって大丈夫だったから、今の状況はちょっときつい。 今日は1本早いバスで余裕を持って出勤しました。 他に分かったことは、会社の人の多さが結構こたえます。 休み中の復職トレーニングで通勤の人込みになれるのはやってきたけれど、 勤務で、周りに人がいっぱいいるっていう状況が意外と疲れるっていう、どこに行ってもヒトヒト人。 社員は減っているはずなのに、事業所を閉鎖したりしているから、ひとつの事業所に従業員が詰め込まれているんだな。 まだ、たいした仕事してないから、はっきり言って退屈、つまんないんだけど、夕方にはなぜか疲れが出てくる。 なれてくるのかなー 仕事おもしろくなるのかなー ではー

病院の常識が必ずしも正しいとは限らない

今日書くことは、異論もあるかもしれない。 けれど、知らないという事で、病院や厚生労働省の都合に振り回されて疲弊していく人たちに知って欲しい。 ------------------------------- これを読んでる方々の中には、もしかしたら次のような疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。 こんなに長期に同じ病院に入院していることって可能なの? 確かに、病院では3ヶ月くらいが限度で、転院させられるようです。 診療報酬がだんだん下がってくるから。 とくに急性期の病院だと、平均入院期間が長くなると、病院全体の収入に影響することもあるようです。 なぜ娘は転院しないかというと、 できないんです。 慢性期の子供を対象とした長期療養型の医療施設が足りないんです。 あったとしても、高速道路を使って一時間かけて行く場所で、ベッドは満床で100人以上の患者が空きを待っている状態という噂を聞いたこともある。つまり、誰かが死なないと入れない。 長期療養型施設については、高齢者にはフォーカスが当たることが多いけれど、小児については施設がまったく無いといってもいい。厚生労働省は何やってるんだ! 前にも書いたとおり、自宅に引き取るにはいろいろな課題があるし、 そもそも、こちらは延命治療を中止してくださいと病院に訴えているのに、病院側は倫理的にとかなんだかで延命の中止はできないといっている。 私たちが娘を自宅に引き取ったら、終末期医療に持ち込むのが目に見えているわけだから、そこで、自宅に帰ることを病院が勧めるということはありえない。病院は矛盾することになるから。 でも、あるとき突然に、病院から強い態度で、「転院してもらうことに決まりました」とムンテラされました。 こちらは、はあ?何言ってるの?転院先の紹介や検索もしないでおいて、転院の承諾だけ先にとろうなんて、あまりに勝手じゃないの? 最初のころは、急性期だからという理由で延命中止を断られ。 こんどは、慢性期になったから出て行け。 勝手に延命したのはこの病院なんだから、最期まで面倒見てくれ、というのが僕の本音。 僕は、病院が親の承諾なしに勝手に娘を違う病院に連れて行くなんてことはありえないと思っていたから、いたって冷静に転院を拒否しました。 でも、心配に

病室より妻から

娘のところに行っていた妻から来たメールの抜粋を紹介します ----------ここから妻のメール きょうはぼちぼちオシッコが出ているようで、顔のムクミが少しとれてきてるように見える。 キセツのニクゲと出血は相変わらず。タダレケロイドのプックリも同じ。きのう皮膚科ドクターが来てたが。ケロイドの下がキセツ部とろうこう、つまり穴で貫通していて、ふさぐことは出来ない、表面の効いてるんだかよくわからない処置を続けると言ってた。つまりは、根本的な治療はできずに様子見ていくしかないって訳だな。ろうこうになってるってことは汚い膿が器官を通り肺にまでいっちゃうと予想されるよね。なんだか、悪くなるのをわかっていながらなにも対応できずにいるって感じよね。 本人は平和な顔して顔色も良くいつもと特にかわりないよ。 --------ここまで妻のメール 昨年末にやった気管切開の傷跡が今も落ち着いてないんだよ。 手術失敗なんじゃないのかなー では

いよいよ試験出社

復職許可の診断書が出ました。 8月中旬から復職準備を始め、最初は近くの図書館から。 そして、会社近くの図書館への通勤。 午前中だけから始めて、少しずつ時間を延ばし、途中焦って失敗したりして。 最終的には、9時ー17時で図書館で過ごせるようにして、やっと復職許可まできました。 長かった。 図書館にも慣れて、実は図書館、居心地が良くなって来たりして。 ただ、これがさらに1ヶ月とか延びたりすることを想像すると、退屈かも、、という感覚になってきました。 振り返ってみると、いったいこの休みはなんだったんだろうという気もしますが、心おだやかに過ごせる日々をまとめてもらえたことには感謝です。結果的には休んでいた期間は3ヶ月ちょっとでした。 あさってから約3週間の試験出社を経て、正式な復職になりますが、試験出社中に風邪で休んだりしたらアウト、もう一度やり直しらしいです。(これって結構プレッシャー) でも、普通に仕事が出来るようになるのか、不安でいっぱいです。 では

自宅介護の模索

先日、娘と同じ病室で隣のベッドにいたことのある男の子が亡くなり、家族でお通夜に行ってきました。 娘と同じような境遇の子が亡くなったというのは、僕ら夫婦については重たいものだった。 「ちいやん、家に帰りたいんじゃないかな」妻がポツリと言った。 僕も、娘を家に連れて帰りたいという気持ちがあったけど、実現するにはいろいろと障壁があって、積極的にその事について話したことはあまりなかった。 妻からさっきの言葉が出た事については、意外だった。 自宅に連れてくるとしたらいろいろな課題がある まず設備の用意 ベッド レスピレーター(呼吸器) 酸素ボンベ 痰吸引器(痰をバキュームして吸い取る) それよりも、24時間誰かがついて行わなければならないこと 2時間ごとの短吸引、体位交換 オムツの交換 経管栄養 毎日の清拭、洗髪 などなど 近くに手を貸してくれる親族の居ない我が家では、これらをすべて夫婦で交代でやらなければならない。 僕の仕事はどうするのか、妻の仕事もどうするのか、あわせて家事も。 そして、大きな問題は、往診してくれる主治医がいるかどうか。 通院するとなると、もう救急車が必要になるんだろう。 精神的、体力的にも高いハードルがいくつも思いつく。 でも、僕の本心は、自宅に帰してあげることが出来るならそうしたい。 では

自分の最期を想像できますか?

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人はいつか死にます。それが何十年後かもしれないけれど、かならずその時が来ます。 もし、癌や他の大きな病気にかからず、年老いていくとしたら、その先には老衰という最期がやってくると考える人もいるでしょう。 でもね、医療はそんなきれいに死なせてくれるとは限らない、って最近は思うようになりました。 現代の医療はとにかく延命させるのが目的。 年を取ると、嚥下困難になることが多く、特に認知症が進むと、誤嚥を起こすようになる。すると誤嚥性肺炎となり、病院に入院となります。 入院して肺炎が治るとどうなるかというと、そのまま消化器外科へまわされる。 何故だかわかりますか、誤嚥性肺炎を繰り返すということは、モノを食べないでくださいという医者の判断が下されるのです。 モノを口から食べないで済むように、胃ろう設置を勧められるわけです。胃ろうとは、お腹に穴を開けて、胃に直接食事を流し込めるようなチューブの事です。 胃ろうを付けて、体力が回復して、また口からモノを食べられるようになるならともかく、回復の見込みのない、例えば認知症の進んだ患者に胃ろうを付けて延命する。 延命させるのが目的としか思えない。思考停止のパターナリズムがここにはある。 実はこのパターン、看護師である妻は当たり前のように知っていたらしい。 僕の娘のケースでも、病院はこのようなパターンで話を持ちかけてくる、と早い段階から妻は予想していたようだ。 こういう延命に意味があるのかという事で出てくるキーワードは「自然死」という考え方。 もちろん、患者それぞれの症状や環境もあるし、家族がどうしても延命してくれというなら、そうすれば良い。 でも医者に言われるがままになる前に考える必要があるのではないだろうか。病院の医者は、とにかく延命のパターナリズムしか頭に無いと思った方が良い。 食べられないということは体が食べ物を受け付けなくなってる。そこに胃ろうを付けて、意識もうろう状態のまま、家族から遠く離れた施設に何年も置かれる。場合によっては、そんな状態で3ヶ月ごとに転院させられながらです。 そういう状態で人間の尊厳があるのかどうか考えてみるべきだと思う。 僕は、年老いて食べる事ができなくなったら、自然に死なせて欲しい。 参考:この本は分かりやすくてよいです 枯れるように死にたい―「

息子と公園にいってきました

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今日は暑かったですね。 息子と歩いて30分ほどのところにある公園に行ってきました。 息子は芝生の坂を転がって、元気に遊んでました。 思い切って外に行ってよかった。 では。

おしっこが出たり出なかったり

娘の事、 おしっこがほとんど出ない日が4~5日続いて、出る時は1日でとてもたくさん出るという状態が続いてる。日々の尿量が不安定なんです。 デスモプレシン 健康な人は、バソプレッシンというホルモンが脳から出ています。いわゆる抗利尿ホルモンです。これが、腎臓での水分の再吸収を促進させて、尿が出過ぎないようにコントロールしているということです。 それが娘は出ないので、代わりとなるデスモプレシンという薬を投与しています。 脳死では、体の状態を安定させるための常套手段らしいです。 だけど、尿がちょっとしか出ない時は何日も出ない、出る時は堰をきったように沢山尿が出る。 デスモプレシンを投与しているにもかかわらず、です。 うーん、娘の体では何が起こっているんだろう。 おしっこが出ない日が続いていても、血圧は普通のようだから、血中に水分がたまっているということではないのだろう?細胞にたまってる? 尿が出ない時は、顔がむくんでるしな。 代謝もおかしくなっているのかな。 もう何も検査しないって方針で病院とは合意してるから、何もわからん。 ではー

耳から血が

娘のことなんですが、耳から出血して耳鼻科の先生を呼んだりして、病院ではちょっとした騒ぎになってたようです。 その話を聞いて、妻が「あ、わたしだ」 妻が娘の耳掃除の時に傷つけてしまって、かさぶたをはがしてしまったことが原因らしく、一件落着。 でも、綿棒での耳掃除で、出血するほどの傷がつくのかな? ステロイドをずっと投与してるから、皮膚は弱くなってることは確かなんですがね。 ではー

iPad mini もう届いた

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壊れた製品を発送してから2日で、代わりの製品が届いた。早い。 はあ、今から思うとアップルケアに入っておけばよかった。

iPad miniが壊れました

iPad miniが壊れました 息子がおもちゃにしているiPad mini なんですが、車から降りる時に息子が地面に落っことしまして、画面のガラスにバリバリにヒビが入ってしまいました。 最近は、娘が入院している病院に行く時に息子も連れて行っていて、息子が病院に来てくれるようになったのは良いのですが、退屈するのですよね、で、外に行く時にはiPadを持たせていたのです。 これまでiPadは家の中では、どんなに子供が乱暴に扱っても全然壊れなくて感心していたんです。 でもさすがにレンガタイル敷の駐車場への落下には画面のガラスが耐えられなかった。 というわけで、早速iTunesでバックアップをとり、修理に出すことに。 AppleのサポートのWebサイトから、シリアルナンバーとAppleIDを入れて、集配の手配まですぐにできました。 自分の不注意で壊したので保証はきかず、修理費1万8千円はかなり痛い。 次の日には、壊れたiPad miniをクロネコが引き取りにきてくれました。ちなみに梱包しなくて良いんですね、そのまま渡してこれは楽ちん。 息子はかなり反省している様子。暇さえあればiPad miniでゲームやYouTubeだったのが、急になくなって、代わりに漫画読んだりしてる。寝る前にもやる事がないので、さっさと寝ますよとなって、いつもより1時間くらい早寝になってる。 これでモノを大切に扱う事を学んでくれたらいいのですが。 では

オリンピック

ちょっと話題になっているので、オリンピックのことから書いてみますね。 (ちょっとどころではないか) 僕が生まれて初めてオリンピックを意識したのは、ロスアンゼルスオリンピックの時でした。その頃にビデオデッキが家庭に普及して、我が家にVHSが設置されたのを覚えています。 開会式を録画して何度か見ましたね。日本の選手団だけが、きっちりと整列して行進してた。 ロケットを背負った人が飛んでくる、あれです。 柔道の山下選手が金メダルをとった時は、海水浴に行ってる時にラジオで聞いた。 確かその頃僕は小学校の高学年。あれ、ロスの前のモスクワオリンピックの記憶が全くないのはなぜだろう。と思ってウィキペディアさんで調べてみると、モスクワオリンピックは日本を含めた西側諸国がボイコットしてたんですね。 まさに、東西冷戦のなごりが残る時期、ロスオリンピックでは、東側諸国が報復ボイコットをしてたんですね。 ふーん、それでロスオリンピックの前のモスクワオリンピックの記憶がないのか。 話はそれるけれど、僕が小学校の時には、本当に核戦争が起こるんじゃないかとヒヤヒヤしてた。大人が話している東西の核保有状況を聞かされて、僕は本気にうけとってたよ。 今も各地で紛争があって、シリアの問題とかあるけど、まさかミサイルが飛んでくるとは思ってないから、日本も平和になったね。 ところで7年後になったら、どんなガジェットでオリンピックを楽しむんでしょうね。 ではー

それこそ誰かが死なずに生きていること自体が自分や家族の自由を大きく制限することになる。生きるということは時にはそういうことだ。

「それこそ誰かが死なずに生きていること自体が自分や家族の自由を大きく制限することになる。生きるということは時にはそういうことだ。」 Twitterというのは、前後の文脈を無視して、一つのポストだけ抜き出すと大きな誤解を招くこともあるが、僕はこの表題に書いたポストに釘付けになったのです。 これは、渡邊芳之さん(@ynabe39)のちょっと前のポストです https://twitter.com/ynabe39/status/361573805304459265 本当に、生きるということは時にはそういうことなんですよね。 自分の親の介護、重度の障害の子供を持つ親、人生にはそういう時がある。 いま僕はそのまっただ中にいるわけで、そんな中で、何が大事なのか見失わないように、しっかりしないと。 では

僕には、どうしても、娘は死んでいるとしか思えない

僕には、どうしても、娘は死んでいるとしか思えない。 脳死は人の死ではないと主張する人は多い。 そういう人たちは、心臓は動いているし、まだ暖かい、体の細胞は恒常を保つために生きようとしている、とか言う。 ネットで検索すると、「脳死は人の死ではない」という記事ばっかりヒットする。 そういう人たちは、自分の子が脳死になったことなんて無いのに、脳死の子供を介護したことも無いくせに、主張ばかりしているように見える。 でもね、娘は、脳幹がやられていて、体温調節ができなくて、暖めているから暖かいのであって、電気毛布で体温調節しなければ、すぐに低体温になる。菌に感染しても、発熱もしない。 尿の調節もできないから、ホルモンを投与して、尿が出過ぎないようにしている。(ほっとくと尿崩症ということになって、尿が出すぎてすぐに個体死に至る) もちろん、呼吸も呼吸器がしている。 動かないし、脳の血流も認められない。目をさまして意思疎通することなんて二度と無い。 僕は、今娘にやっていることに意味を見出すことができないんです。将来の展望が無いのに、肉体だけ保存している事に。 「それでも、わが子は生きている」、なんていう人がいるけれど、そういう人はそう思っていて結構。 それぞれの症状は違うし、考え方も違う。まだベビーだったら、僕も違う考えになっていたかもしれない。 ある日、ある瞬間に突然意識をなくした10歳(当時)の娘。 死んでいるのに、喪の作業もできていない僕は、宙ぶらりんのまま、心の整理がつかないままなんです。 では

出血傾向その後

娘の出血傾向その後 喉の痰吸引での出血は見られなくなった。でも、痰は硬い。スクイージングと呼ばれる、胸を押して肺を含めた気管からの痰を押し出す事をしながら、痰の吸引を行う。 先日、尿が出過ぎて、血圧が60代まで下がる事があったが、これは尿を調節するホルモンの投与で調節することができるので特に気にはならなかった。 娘は、排尿を司るホルモンを出す脳の部分がやられているので、ホルモン投与で長期間体を保てているのです。このせいで、長期脳死というものがこの世に存在することなってしまったのだ。 では

出血傾向

娘の事ですが、一昨日、気管内の痰を吸引すると、血が混ざってくるようになった。 鮮血が吸引のチューブについてくる。 しばらく前から胃粘膜や目からの出血傾向は見られていたが、ついに気管、または肺からの出血が始まったという事かもしれない。 では

復職準備しています

2週間ほど前から、復職へ向けてのリハビリを始めていました。 朝、起きて、会社に行く服装に着替えて、始めは近所の図書館へ行くことから。 先週くらいからは、朝、会社の近くの図書館まで通勤して、1日そこで過ごせるかをやってみました。 ところが、焦って無理をしたせいか、情緒不安定になってしまい、リハビリ計画の見直しをすることになってしまいました。 主治医からは、朝の通勤は続けて生きましょうということだったので、それは続けています。 今週は、朝に会社の近くの図書館へ通勤するということは続けていたのですが、昼ごろに切り上げて帰宅するという計画。 体の疲れはそんなに無かったのですが、これから先、会社でやっていけるかという不安感、そして、しばらく潜めていた娘についての悲しみがどっと押し寄せてくるようになってしまったのです。 苦しい。 久しぶりに、声を上げて泣きました。 帰ってくるときに泣きたくなる気持ちが湧き上がり、 「僕にはもう一人元気な女の子の子供が居たはずなのに」 というような思いがこみ上げてきて、誰も居ない家に帰ってから、声を上げて泣きました。 こんなことは、娘が入院した直後以来の感情の高ぶりでした。 ------ 夏が終わります。 だけど、時は止まってしまっている。 近所のプールも、今年も行かなかった。 あれから季節が止まってしまっているんです。 これから来るであろう秋も、クリスマスも何も感じないかもしれない。 かろうじて息子がいるから何とかクリスマスっぽいことはするかもしれないけれど、 僕の心の季節は止まったまま。 いつか動き出すことが来ることを祈って。 では

ある本を読んだ。

ある本を読んだ。 幼くして亡くなる子供は、役割を持って生まれてきたそうだ。 何回も輪廻天性してきて、魂がかなり磨かれていて、この世で魂を何年も磨かなくて良いほど神様に近いから、短い人生で親に悲しみとは何かを伝えるために生まれてきたという話だ。そして、その親の魂も磨かれる事になるという。 では

iPad売ることにしたよ

久しぶりにガジェットの話題を。 去年買ったいわゆる、「新しいiPad」を売ることにしました。 だってまったく使っていないんだもの。 ソフマップのらくらく買い取りで引き取ってもらいます。 ほとんど使ってなかったから、多分上限額で買い取ってもらえると思う。 うちには、iPad miniもあるんですが、これはもう息子の専用機になっている。 観察していると、ほとんどYouTubeでゲームの実況動画を見るのに使っている。 息子はこれでモンハンとか、マリオカートの攻略をかなり学んでいる。 あとはたまにパズドラしたりしてるみたい。 iPadは自分専用機にしようと思っていたのですが、なかなか使い道が見出せなかった。 Kindleアプリでコミックを読んだりしたけど、iPadのKindleアプリでは書籍の購入が直接できないので、めんどくさくなってしまった。 もしかしたら、Kindle Fireとかのほうが使う機会が多くなるのかなと思ったりしてます。 でも子供のおもちゃとしては抜群でした。娘もよくiPadでYouTube見てましたね。 初代iPadには無かったけど、今のiPadはひらがなのキーボードがあるので、子供でも文字入力ができるのがポイントだと思う。 検索するのも息子が自分でできるようになった。 モンハンの攻略も自分でググったりしてるし、子供との相性はいいんでしょうね。 歴代iPadを購入したけど、もうしばらくタブレットは要らないかなと思っている。購買意欲自体が低下しているということもあるけど。僕はiPhone5で十分だ。 あとは、僕のPCがWinXPなので、そろそろiMacに移行しようかなと思ってはいるんだけどふんぎりがつかない、Appleはさりげなく値上げしてるし。 次のAppleの新製品は何かなー ではー

ゾンビと脳死 ウォーキングデッドを見て(ネタバレ注意

音楽を楽しめない あんなに好きだった音楽を最近はほとんど聞いてない。 なんだか音楽を楽しめなくなっている。 ギターもほとんどさわってない。 その代わり、家にいるときでとても暇な時はHuluで海外ドラマを見ている。 いま見ているのは、ウォーキングデッド。 いわゆるゾンビもの。 死んだ人は必ずゾンビに転化して、人を攻撃し始める。そういう病気がはびこる世界のストーリー。 自分の友人や家族も死ぬとゾンビに転化するので、頭を破壊しなければならないというジレンマも描かれている。 これがなんだか僕の境遇と重ねあわされて、なんともいえない気持ちになる。 自分の子供が転化したゾンビは、我が子と言えるのか、それともすでに死んだ人間であるのか。 脳死の我が子を延命措置と言って、身体だけ保存する事に何か意味があるのか。 (以下ネタバレ注意) 家族だったゾンビを、これは病気だからと言って囲っているのと同じじゃないか。 今日はここまで でわー

手と足を洗うなど

今日は、娘の手足浴をしてきた。 まあ、手足浴は簡単なので僕でもできます。 手足浴の他にも清拭はあります。洗髪、ベッドバス、陰洗。 洗髪は僕は1回しかやったことがない。妻がやりたがるので、なるべく妻がやっている。 ベッドバスは、もう一人では無理。と妻が言っていた。かなり疲れるらしいので、なるべくナースに任せるようにしています。ナースにも一人ではやらないでねと言ってある。 なぜならば、一人でやられると、適当になってしまうから。 呼吸器のサクションは、娘のところに行くと妻がいつもやっている。 僕はやったことは無い。一度やってみたいと思うのだが、妻は自分でやりたいらしい。 ---- 朝一で病院に行ったら、「今日は手足浴の日なのでお父さん一緒にやりますか」とナースが言ってくれた。 今日の担当ナースは東北出身ということもあって、いろいろと話があうし、とてもしっかりしたナース。 足から洗う。娘の足は、ずっと寝ていたために、まっすぐ伸びたまままがらない。 ボディソープが残り少なくなっていて、ポンプを取り外して、底にたまった液体をボトルから出してもらった。良く洗ったつもりだが、泡を流してタオルで拭くと垢が出てくる。まあ、いいとしよう。 次は、手。手の指も硬直してまっすぐに伸びない。これもボトルから直接ボディーソープをたらす。 今度は念入りに洗う。 洗ったあとはローションをつけて乾燥を防ぎます。 今日はここまで ボディソープを補充するために、もう一度家を往復しました。 暑い中、自転車でいい汗かいた。 ではー

過去エントリー(2010年03月30日)

Bloggerに来る前に書いたブログの記事、 http://blog.livedoor.jp/e28443/archives/50291825.html 娘と暮らしていた日々がよみがえる。

いや、死神でもいい

今週も教会に行けた。 仕事に行っていたころは、土日の午前中はどうしても起きることができず、4月くらいからまったく日曜礼拝に行ってなかった。 それが、2週連続で行けたので、だいぶエネルギーが溜まってきたのかもしれない。 キリスト教では、七夕はまったく関係ないらしく、七夕の話題はひとつも出ませんでしたね。 今日の牧師さんのお話は、イエスが病気の人を癒しまくったという聖書の話だったんですが、 昔、聖書の時代には病気になる人は罪を犯した人であると世間では思われていて、差別対象だったということです。 病気の人に手を差し伸べたイエス。病人を差別することなく、人々を分け隔てなく考えましょうという教えだということです。 神の国では、みな平等。この世すべてを神の世に近づけようとするため、イエスはひとつの土地にとどまらず、ひとつの街の人々を癒すと、次の土地へと移動していったそうです。 今日気がついたのは、聖書では、病気の人には悪霊がとりついていることになっているようです。イエスが悪霊を追い払うことで、病人はさっさと元気になってしまう。 うーん、これについてはいろいろ考えることがあるけど、今は書ききれないので今度にしよう。 娘の所にもイエスが現れないかな。 いや、死神でもいい。 生き返ることが無いなら、いっそのこと終わりにして欲しいと思う。 中途半端な救急医療のせいで、長期脳死という中途半端な状態に悩まなくてはならない。 でも妻はいつも言うのですが、津波で遺体もあがらないような被害者に比べたら幸せなのかもしれません。 ではー

奇跡の子

息子の事を書いてみようと思う。 息子は今小学校2年生。 娘が生死をさまようこの状況は息子がいなかったらどうなっていたかわかりません。僕は人生すべての希望をなくし、きっと家庭は崩壊していただろう。 そういう意味で、息子がいてくれて良かった、生まれて来てくれてよかったと。 実は上の子(娘)が生まれてから、妻の生理不順が何年も続いていて、妻は婦人科で治療を受けていました。 そんな状態でしたが、上の子が生まれてから3年くらい経った頃に妊娠したのです。産婦人科の先生も驚いていたそうです。 まさかの第二子を授かったのです。上の子とは4つ違いで、生まれ月も同じ一月。 雪が何度か積もった冬でした。 切迫早産で入院したのも上の子と同じ、ホントに大変でしたね。 3歳くらいの子供がいて、しかも保育園も行ってない、それで母親が入院してしまう。今から考えるとどうやって乗りきったのか不思議になる。 第二子が生まれてからすぐに、僕は神戸に転勤になったのですが、その時は会社の上司を恨みました。新生児を抱えて引越しするのかと! 上司の言葉はこう、「新生児でも新幹線乗れるでしょ」と。そりゃそうだけど、引越しって大変よ。 この時は妻には苦労させたと思う。0歳児と幼稚園に入園する子供2人抱えて、全く馴染みのない土地に引っ越す事がどれほど母親にとってストレスフルか。 息子は母乳を飲んですくすく育ちました、4歳上の娘と一緒に育てられたので、言葉も早かったように思う。 トラブルもなくて、友達とも仲良くしてるし、学校の宿題も自分から進んでやるし、手のかからない子。 姉の事はほとんど口にする事はなく、これまで通り明るく振る舞っている。焼肉の食べる分が多くなってよかったと冗談混じりに話してた事はあったかな。 でも、ある時友達に姉の事を話したらしく、 「死んじゃってるのに何で焼かないの?」 と聞かれたらしい。 その問に何と答えたかは分からないけれど、幼いながら、僕の家に起こっている事はよく分かっているんだと思う。 あと、息子に「お姉ちゃんは何であんな風になっちゃったの?」と聞かれた事がある。 僕は、真面目に「脳の大事なところの血管が切れて、出血して、それでね…」と続けようとした時、 「もういいよ」 と涼やかな表情で話を遮られた事がある。 僕

教会に行ってきた

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今日は寝坊せずに、教会に行ってきました。 僕が教会に行き始めたのは、今年の始めころ、日曜礼拝に毎週行っているわけではなく、たまーにいける元気があって、家で妻が子供をみてくれているときに行っています。 僕は、クリスチャンと言えるほど信仰深いというわけではないんですが、何か救いが欲しくて教会の門をたたいたという感じです。 (ちなみに、この教会の牧師さん、先週第2子が生まれたそうで、良かったですね。) 教会では、牧師さんの説教や、聖書を元にした説教、そして、お祈りがあります。 聖書も新書版で出ていたのを持っていたので、ちょっとまじめに読んでいました。 すると、イエスって、結構自己中というか、理解できない行動をする部分がありますね。僕の印象ですけど。新約聖書の時代がどういうものだったかは僕はよく分からないんですが、やたらとイエスは政府(司祭)と敵対してしまう。いろいろな奇跡を起こす中で民衆はイエスに惹かれて行くんだけれど、結局は十字架に磔にされて(磔刑)死んでしまう。そして、また奇跡が起きて、3日後に復活する。 うーん。読んだだけでは分からない部分が多い。 これは、解釈して導いてくれる人がいないと聖書は読んじゃいけないなと思いましたし、そうだということをどこかで読んだこともあります。そのとおりだと思う。 ちょっと分かりやすかったのは、 マタイによる福音書6 22- 「思い悩むな」ですね。 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。 あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。 ・・・ あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。 その日の苦労は、その日だけで十分である。 」 でもこれをそのまま鵜呑みにすると、ホームレスのようになっちゃうんでは・・・ やはり、解釈して説明してくれる牧師さんが必要だ

新明解国語辞典による「いのち」

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今日は、言葉の意味の説明や用例が面白いことで昔から有名な新明解国語辞典から始めたいと思います。 僕は、新明解国語辞典のツイッターBot( @shinmeikai_bot ) をフォローしているんですが、ずいぶん前にそこに流れてきた投稿にひき付けられました。 いのち【命】   (一)生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称。〔一瞬一瞬を生きることの繰返しとしてとらえられる緊張の持続であり、客観的には有限であるものが、主体的には無限の連続として受け取られる所に、その特徴がある〕 主体的には無限というところでなんともいい難い、こんな短い文章で物事の真理を言われているようで、この辞書を作った人は哲学者なんじゃないだろうかと感じました。 これを読んでいる人には、子供がいるでしょうか。その子のいのちも有限なんですね、客観的には。 でも、親としては、子供と同一となっているというか、主観的に見ていることがほとんどだと思う。限りあるいのちの時間を感じて生きていかなきゃならない。そう思えば子供への接し方も変わるはず。 僕の場合、昨日までいつもどおり学校にいって、テレビを見ながらみかんを食べて、いやいやながら宿題をやっていたわが子が、突然、死んでしまう。正確に言うと、脳幹出血による脳死なんだけど、僕にとっては社会的に死んでしまった。そのとき、「いのち」は有限なんだとわかった。 こんなことになるなら、いやな算数の宿題を無理やりやらせることは無かった、掛け算九九もできなくたって良かった。 そして、世の中には、有限な いのち の子と過ごしている人がいる事を知った。同じ病室にいた中学生くらいの男子なんだけれど、僕の娘と同じように、脳波はフラット、目は開いていたり、閉じていたりするが、意識があるかはわからない。僕の子と同じような人たちがいるんだなということが分かった。 ただ、僕らのケースと違うのは、その子は筋ジストロフィー患者でもあること。筋ジストロフィーは僕も詳しくは無いけれど、だんだん筋肉が動かなくなる病気で、20歳までは生きられない。 その子の親は、限りあるいのちの時間を感じて生きて来たという事になる。本人にとっても、親にとっても壮絶な運命だと思う。 そんな人が世の中にはたくさんいる。 生まれたときから、脳に障害

今日は授業参観

今日は雨の中、息子の授業参観にいってきた。 以前、娘の時はよく行ったんだけど、その時のような楽しい気分はなかったなあ。 算数の授業だった。 息子は退屈そうに授業を受けていた。でも、やる事はやってるし、先生のいう事もきちんと聞いていて、手もあげていた。家にいる時より退屈そうに見えた。 授業が終わったら、息子が「今日は学童なしにしていい?」と聞くので、保護者会が終わったら学童に迎えに行くからとりあえず行きなさい、と。 学童に迎えに行って、娘もお世話になった事のある学童の先生と少し話した。 「お久しぶりです、お元気ですか」 と言われた。 お迎えの親に対して「お元気ですか」という事は普通はないと思うので、やはり娘の事とか心配してくれているのかなあ、と少し嬉しかった。 息子は学童ではとても元気に過ごしているようだ。他の学年の友達も多くて、これは学童の良さだなと思う。 保育園の時も、夕方のお迎えの時間帯になると、複数のクラスが一つに集められていて、歳のちがう園児が入り乱れて遊んでいた。これもよかったなあ。 近所のスーパーに息子と買い物に行ったりすると、やたらと子供が挨拶してくる。誰?と息子に聞くと、ちがう学年のお友達だったりする。 僕の幼少期はそうではなかったので、ちがう学年の友達ができるというのはすごいと思う。 今日はこの辺で… ではー

長期脳死

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長期脳死という言葉があることをしったのは、娘が脳死になってから少し後のことです。 脳死と植物状態っていうのは違うんです。詳しくはググってもらえればと思います。 植物状態は自発呼吸があることが多いんです。しかし、脳死は自発が無いので呼吸器が必要。 特にこどもに多いらしいんですが、脳死の状態が比較的長く続くことがある。 30日以上その状態が続いている人のことを長期脳死というらしい。 僕の娘は1年と4ヶ月近くその状態。 こういう患者は結構いるらしい。もうちょっと元気になったらまとめてみたいと思います。 世の中には、わが子が長期脳死になっても、心臓が動いている限り生きている。と前向きに考え、自宅療養にする家庭もあるみたいです。 でも、僕が思うに、このまま延命し続けて意味があるのか?と思ってしまう。 CTスキャンの画像を見ても、脳の形態はまったく見えなくなっていて、のっぺりした餅の断面のように見える。 脳は機能をしていないので、息をしろとの命令が脳から出されないので、無理やり人工呼吸器で呼吸をさせている。 目も開けない、永遠に眠ったままの状態。 意識は、、無いと思う。もし周りの声が聞こえていたら、それはそれでとてもつらい。 この子にとって、幸せなのか。残された僕たち家族にとって幸せとは何なのか。 莫大な医療費をつかって延命させる意味があるのだろうか。 なんだか、いろんな疑問ばかりで、翻弄され続けてきました。 もちろん、少しでも回復する希望があるのなら話は違います。その希望に向かって突き進むだけ。 これが5歳程度の抱っこできるくらいの大きさなら、家に連れて帰って介護することもできるだろうけど。家に連れて帰るっていっても、もう11歳にもなる娘の体は大きくてどうしたもんかと。 今日はここまで では

仕事を休んでいます

今週から、病欠ということで長期休暇に入りました。 とにかくいろいろなことがありすぎて疲れちゃったというのが本音。 妻のうつ病、脳死状態の娘の事、そんな中で仕事を続けていくのが辛くなってしまいました。 会社の産業医の先生とも相談し、ちょっと療養したらどうかということになり、私のかかりつけのメンタルの先生に診断書をもらって、即病欠。 とりあえずは1ヶ月、様子をみて期間は考えましょうという事になった。 仕事をしているときは、毎日ほぼ定時に退社。妻が夕方にはダウンしてしまい、小学校2年生の息子が放置状態になってしまうから、毎日ハラハラ。遅い時間のミーティングが入るような仕事がきませんように・・・っていつもびくびくしながら会社に行ってた。 普通に仕事してたら夜にもミーティングが入ってくるようなこの仕事。これからも続けられるのだろうか。 自宅の最寄り駅が仕事場になるという求人があったけれど、こんな状態で転職できるかなー では

気がつけば2月

気がつけば、一月も終わり、2月になって節分も過ぎている。街はバレンタインのチョコが並び、ひな祭りの音楽が流れている。会社では年明けに上司が変わった。新任の上司は部門メンバーからの抜擢で、僕と同じくらいの年の女性。僕の家庭で起こっている事を話したらひどく狼狽したような顔をして驚いていた。特に娘の事に関しては。僕から話してこなかったので当然のことなのだが、ほとんど一年の間一緒に仕事をしてきたのに、僕に起こっていた事は正確にはわかっていなかったって事だ。 日々は確実に過ぎて行く。 ここしばらく、朝は娘の入院している病院に立ち寄ってから出勤しているが、病院に来るたびに娘のそばでずっとオロオロしていたい気分になるのはいつも同じだ。 さて、そろそろそんな気分を振り切って会社に行こう。 では

ようこそ2013年(ギターが欲しいの)

年が明けましたね というわけで、今年の抱負を考えてたんですが、なかなか思い浮かびません。 どうしてもテンション低いというか、なんというか。 で、思ったんですが、 もし僕が明日死んだとして、周りの人が悔やむような生き方になってはいけないな、と。 つまり、もっとあんなことをしてあげれば良かったとか、もっとこれからやりたいことがあっただろうに、みたいに周りが思わないように生きること。 あれだけ好きなことをして充実した生涯だったからいいよね。と、周りの人も思えるようにいつも生きていければいいと思う。 刹那主義? かもしれない。でも、人はいつか必ず死ぬんです。 死亡率は100%だから、いつそのときが来てもいいように、その瞬間をめいいっぱい生きていけるようになりたい。 というわけで、これから楽器屋さんに行って、いいギターと出会えたら、今のを下取りして新しいのを買っちゃおうかなと思っています。 趣味ごときに逃げ腰になってたらつまらないもんね。 ではー