最近の心の重石

最近は、あまり娘のところに行けていません。

以前は、会社に行く前に娘の入院する病院に寄ったりしていましたが、長期欠勤から復職してからは、毎日規則正しく、9時前に会社に到着するようにしているので、平日は娘に会いに行くことはなくなりました。

それででしょうか、娘と距離を置くようになったからなのか、娘のことで落ち込むことが少なくなってきたような気がします。

1年ほど前でしょうか、心の中にある重石について書きました。そのときの記事はこちら→重石

その重石には、角があって、日常生活のふとしたとき、思いもよらないときに、その重石の角が心に突き刺さって、苦しい思いが湧き出してきてました。

最近は、その重石の角が取れてきたような感じ。

今も心に重石はたしかにあります。だけど、ちょっと角がとれて、重さも少し軽くなってきたように感じる。

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人の心には、いろいろな雑念があって、仏教では煩悩というようですが、人の死を悲しむということもこの煩悩のひとつという事のようです。(お坊さんが読者の質問に答えるというサイトhasunohaで読んだはずなのですが、スミマセン、ソースを探しきれませんでした。僕はあいかわらずいいかげんですね)

先ほどから書いている「重石」も煩悩なのかもしれません。

重石の角がとれて、小さくなって、やがてとっても小さくなって、悲しむこともほとんどなくなり、思い出に変わる。

煩悩がひとつ無くなる。

煩悩がなくなるというのは、あるものごとをあるがままに受け止めることができる状態といえるのではないでしょうか。

それが、「悟り」の状態だそうです。(こちらも、ソース行方不明)

すべての煩悩から解き放たれると、解脱という状態に達する。
これはお釈迦様しかなしとげられなかったとも。

アーメン

ではー

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