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そうだ、ふるさと納税やってみよう

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 年末が近づいてきました。 みなさま、ふるさと納税してますか。 ふるさと納税は、 所得控除じゃなくて、税額控除なので、ほんとに やらなきゃ損 ですよ! 周囲から絶対にやらないと損だと言われ続け、今年こそやるぞと決意し、やってみました。 肉、カニ、コメが定番なのでしょう。どれもおいしそうな贅沢品のように見えます。 なかには、パソコンや家電製品もありますが、めっちゃ高いのできっとこれらはふるさと納税の上限を超えているのでパス。 で、目についたのが、牛タンです。 花巻市のふるさと納税で12,000円寄付すると、牛タンの返礼品が貰えます。 味付けしてあって、真空パックにしてあるので、使いやすそうです。 ふるさと納税には、所得に応じて寄付できる額に上限があります。計算がちょっと面倒なのですが、 ふるさと納税サイトに行くと、その上限が計算できます。 収入と、社会保険料や生命保険の控除、扶養の状況などを入力すれば、一発で出ます。 すると、 上限額、11,000円ほどで、もう上限になってる? ていう事は、所得がそれだけ低いという事だと思うんですが、なんか計算まちがってるかなあ。 去年の数字で計算してるから、もっとできるかもしれないなあ、とか。 いろいろと考えてしまうわけですが、年末に源泉徴収票が出たタイミングで、もうちょっと精密に計算してみます。 大事な事なのでもう一度言います。 ふるさと納税は、所得控除じゃなくて、税額控除なので、ほんとにやらなきゃ損ですよ!

睡眠から考察する仮想現実のリアル

 このブログも、何年も更新していなかったものですから、誰も見ていない状態になっていますね。 以前は一人くらい見てくれる読者がいたんですが、今ではゼロです。きっとゼロです。 書きっぱなしのサイトとして、逆張りの発想でやり続けるのもありなのかもしれません。 というわけで、どうせ誰も見ていないので、安心して好き勝手なことを書いていこうと思います。 しばらく前から思っていたことがあります。 この世界の真理を見つけてしまったかもしれないんです。 万を持して、この壮大な理論を公開してしまいます。 今の仕事を始めて、勤務するたびに徹夜状態で帰ってくるのですが、 ほんとに眠くて、とりあえすシャワーを浴びて、何か食べながらビールをちょっと飲んで、眠いのを我慢できずに泥のように眠ります。 まさに「泥のように」 これを、ひと月に12回繰り返す日常がどんなものかお分かりいただけますでしょうか。 次の日の朝まで仕事はないので安心して眠りにつくので、たんなる徹夜仕事とは違いますが。 それで、眠りについて考えるようになりました。 ヒトはなぜ眠らないといけないのか? ヒトに限らず、生き物は眠ります。 動物のドキュメンタリー番組などで、野生動物がどうやって寝るのかという話がありますよね。 野生動物にとって、寝ているときは最も天敵に狙われやすく、危険な状態だと。 イルカなんかは、右脳と左脳とどちらかだけ寝るという、器用なことをしているそうです。 では、そんなに生命の危険があるのにどうして睡眠をしなければならないのでしょうか。 体や脳を休めないとならないとか、生化学的に、成長ホルモンを寝ている間に分泌して、疲労を回復しないとならないとか、それらしい説はあります。でも、それらは現象を表しているだけだと思うんです。 進化の過程で、睡眠をしなくて済むような進化がなぜなかったのかと、疑問は残るのです。 どうしても睡眠が必要な理由があるのではないか 寝ている時、意識はありません。 起きたから、寝ていたんだと感じるんです。 もしこのまま起きなかったら、どうなるんだろう、って小さいころに考えていました。 一度寝たまま起きる事がなければ、それは「死」を意味する事に他ならないと思っています。 自分が自分である事を認識している事が生きている証なのに、なんで寝てしまうんでしょうか。 そうなると、どうしても睡眠という事をして、

協議離婚で決めたこと 離婚協議書も自作

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 離婚の話します。 離婚は結婚する時よりもずっと大変と聞きます。 確かにそうでした。 慰謝料なし、弁護士なしの協議離婚へ 慰謝料とりたいくらいの妻の問題が繰り返されたため、財産分与を慰謝料で相殺して、出て行ってくれって気持ちはありました。 慰謝料をもらうとなると、相手の非を客観的に証明できる証拠が必要になります。 不貞があったことが明白であっても、証拠がないとなかなか難しいんです。 その時に相手が非を認めていて、離婚に合意していたとしてもお金のことで後々もめるかもしれない。 不貞以外の事だとして、例えば配偶者が重大な犯罪を犯したとしても、それだけを理由に離婚することは難しいようです。 夫婦は協力して、婚姻関係を維持しないとならんのです。 第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 中学生の子供もいるし、僕としては今住んでいる住居は手放したくない。 高校受験を控えた子供に引っ越しで負荷をかけたくないというのもありました。 友人の弁護士に相談したところ、財産分割して、妻にも今後の生活で安心感をもってもらい、円満に離婚しようという事に。 僕も、できる限り譲歩して、離婚の条件を整える事にしました。 正式には、離婚協議書というものを作り、残しておくのがベストなのですが、離婚協議書に盛り込むべき事を、とりあえず文書にしました。 この辺の仕事は、通常は弁護士さんに頼むことですが、僕は弁護士には頼まず、自作で離婚協議書を用意するつもりで進めました。 離婚協議書に盛り込むべき事は 財産分割、子供の親権、子供の面会、慰謝料、といったところでしょうか。 財産分割を分割で 一般的には、ローンが残っている住宅を売り、ローンを清算。 預貯金や高額な家財があれもそれも資産として計算して、婚姻生活の為に借りた借金があれば、それも資産と相殺して、残った資産を、50%ずつで分与となります。 それぞれに借金があり、もう借金はそれぞれの責任にして、財産分割には入れないという事にしました。 でも、家は息子と僕でしばらくは住んでいたい。 友人の弁護士

子供の中耳炎は鼻たれから始まる

 過去の別サイトの記事をこのブログに移行していますが、一つ一つコピーしている作業で過去の記事を否応なしに振り返ります。 その中で、こんな記事を書いていました。 こんなお医者さんは嫌だ 転勤先の慣れない土地で、副鼻腔炎を見てもらうのに戸惑うエピソードなんですが、命にかかわるような病気でない副鼻腔炎だけに、難しい部分もあるのかと思います。 その後も何人もの他の耳鼻科の先生に診てもらう機会がありましたが、やはりこの記事で書いているナナ先生は、群を抜いて手技が上手です。 その後、私は神戸赴任から浦安に戻ってきて、またナナ先生に診てもらう事になりました。 そのクリニックは繁盛していて、時にはもう一人ヘルプの医師が診察にあたることもあります。大人の患者の場合はヘルプの医師が担当することが多いようです、診察の痛さはまるで違います。 ナナ先生も痛みはもちろんありますが、他の先生とは段違いです。鼻腔の処置をされている間に問診の受け答えをできるくらい余裕です。 僕ももうオトナなので、他の先生でも黙って我慢できますし、改めてナナ先生の良さを実感できることに喜びさえ感じます。 耳鼻科なので、小さい子供の患者が多いです。鼻水が垂れている程度の症状でも実は中耳炎で、ほっておくとひどくなって面倒な事になるのです。 そういった小さい子を丁寧に見てくれます。乳幼児だと、頻繁に鼻汁を取らないと耳の方まで鼻汁がまわってしまい、中耳炎がなかなか治らないのです。 乳幼児の子供の鼻水がなかなか止まらなくて、耳鼻科で見てもらうことになり、耳鼻科で見てもらったら中耳炎にもなってたというケース。僕は娘で体験済みです。 子供大泣きの処置の後、 先生「では、明日来てください」 患者の母「あ、、明日ですか(汗)」 みたいな会話があ聞こえてきて、うんうん、そうなんだよ、僕も娘の時同じように「明日ですか?!」ってなったなあと。 毎日ハナを取らないと中耳炎って治らないんですよね。 明日の仕事どうしよう?ってなるんですが、今振り返ると、長い人生そんなの小さいことです。 育児頑張りましょうね。 ではー

昔のブログを移行しています

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  過去に書いていたブログサイトの記事を、このサイトに少しづつ移行することにしました。 本来であれば、ブログサービスのエクスポート機能を使って、ちょちょいとまとめてポンっと移行したいところなのですが、ダメでした。 エクスポートのファイルはテキストファイルなので、移行先のフォーマットに変換すれば、インポート機能を使ってインポートも可能なのでしょう。 エクスポートファイルはナントカファイル、Bloggerの対応しているインポートファイルはxmlで、しかも日付のタグもちゃんとしてないと日付がおかしくなるとか、とか。 フォーマットを調べて、プログラムでも使ってタグを変換するよりも、記事を一つ一つコピーする方が早いと判断しました。 15年前だったらこんなやり方我慢できなかったと思うのですが、そこまでする気力が衰えているのか、知的好奇心が衰えているのか、あきらめが早くなったというか。 とにかくあの頃と比べて大人になりました。 ちょっと記事をコピーしてみたのですが、2006年の僕の書いている事を読んで恥ずかしい気持ちでいっぱいです。 2006年3月9日木曜日 ひまな日々2 でもそんなピュアな気持ちを赤裸々に吐き出している過去の僕をリスペクトすべく、どんな内容が出てきても、記事はそのまま編集なしで移行していきます。 過去の僕としばらく向き合って、今後の人生やり直そうと思います。 では

ひとり親になったので、児童扶養手当について調べてみた

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 ひとり親の支援として、児童扶養手当というものが国の制度としてある事がわかったので、申請してきました。 画像はコンテンツとはあまり関係ありません 18歳未満の児童を扶養するひとり親であることが条件。 児童手当が中学生までなので、児童扶養手当の方が手厚い。 当然、低所得のひとり親は大変だろうという事で用意された制度なので、所得制限があります。所得額により、全額給付から一部給付まで幅を持たせた支給額となります。 児童1人のとき 全部支給:43,160円 一部支給:43,150円から10,180円(所得に応じて決定されます) 結果としては、認められたけど、所得制限に引っかかり、全額停止となりました。 8月時点での申請だと、一昨年(平成30年)の収入で判定されるという事がわかってたので、一部も無理だろうなという事はわかっていました。 ただし、その後すぐに現況確認が行われて、昨年(令和元年)の収入で判定されるとのことです。 もしかしたら一部でも認められるかもしれないと思って、ちょっとめんどくさかったのですが、申請した次第です。 事実婚ではない事は重要 申請するときに面倒な手続きがありました。 それは、離婚届を出してから1ヵ月、元妻の転居先が決まるまで同居していたことが一つ。 もう一つ、妻が同じ市内に転居した事。 離婚してから同居していたという事は、事実婚の疑いがあり、また、近くに住んでいることも事実婚の疑いがあるという事です。 確かに、客観的に考えるとそういうことも考えられます。 児童扶養手当は、手続きだけで離婚したようなケース、つまり事実婚はゆるさないのです。 で、実際には心身ともに離婚しているので、こういう場合にどうするかというと、第三者に確認してもらう事になります。 民生委員の登場 ここで登場する第三者が、民生委員です。 民生委員とは、聞いたことはあるけど、何をするのかよくわかりませんでしたが、 住民の生活状況を適切に把握しておく事、また援助が必要な住民が日常生活ができるように、助言や援助を行う。 という事らしいです。 事実婚ではないという申立書を書いて、民生委員との面談をして、申立てに相違はないという事を認めてもらう段取りです。 市役所から、近所の民生委員が指名されて連絡が行きます。 同時に自分でも民生委員の人に電話をして、面談のアポを取ります。 民生委員は、仕事をリ

6月の雨

今日は雨の休日。 朝からしっかり降っていて、これぞ梅雨って感じ。 梅雨の時期、休日の雨降りは好きです。 特に何も予定がなかったりすると、気持ちも落ち着いて昼寝も気持ちいい。 今までで一番気持ちよかった昼寝は、大学の時、ヨット部に所属していたことがあり、その時の合宿でのこと。 結構な雨が降って、風も強くてその日の練習は休みに。 汚い合宿所の畳の上で昼寝した時が、本当に気持ちよくて、 暑くもなく寒くもなく、波の音と雨の音も心地よかった。 ヨット部は途中でやめてしまったので、僕の中では数多い黒歴史の一つ。 そんなことで僕の黒歴史を発表 ・・・ しようかと思いましたが、とても恥ずかしいことばかりになりそうで、 黒歴史のオンパレードが耐えられそうにないのでやめます。 みんな途中でやめちゃったことばかり。 振り返ってみると、失敗の連続です。 まだまだ死ねない。 では

そして離婚

こういう日がくるとは、想定していたことなのか、それとも想定外だったのか、、 これまでは考えないようにしてきたというのが事実かもしれない。 離婚届を提出してきました。 先週、市役所に二人で行ってきました。協議離婚です。 最終的な決断に至ったのにはきっかけがありますが、ここでは詳細は書きません。 僕は無知で、幼く、とても甘かったのではないかと、振り返ってみると思うのです。 共依存、と言われたらそうかもしれない。 これからは、息子と二人で生きていきます。 イチロー選手が引退をするときに言った言葉を思い出します。 後悔はあろうはずはありません。 振り返ってみると、このかけがえのない息子を生んでくれた妻には感謝しているし、 もし、結婚していなかったらこの子と出会うことはなかったと思うと、結婚したことに後悔など一つもないのです。 きっぱりと他人に戻って、僕の人生を歩んでいきます。 数か月前、この離婚にいたるきっかけがあったときに、今の会社の先輩に相談したことがあります。 その方は、大きな企業で、部下を持つマネージャーをやっていたこともあり、 家庭やメンタルに問題を抱えた部下を持ったこともある、経験豊富な人です。 その方からすぐに言われたことが印象に残っています。 家庭に問題を抱えて仕事がうまくいかないとか、特にメンタルに問題を抱えてしまう人は、 人生のプライオリティーで自分を2番目、3番目に置いてしまう傾向がある。 子供、妻、家庭、というある程度バランスを取らないといけないものがあるけれど、 最後は自分を優先度1番にして考えないと、おかしくなるということでした。 すべてを丸く収めることはできないし、相手に譲る場面もあるかもしれないが、 自分はどうしたいのかということ、だと思います。 相手が変わることを期待してしまうと、それは自分ではどうすることもできないこと。 これからどう生きるか、未来に目を向けて生きていくことにします。 妻の住居が決まるまでは、まだ同居人として自宅にいますが、来月には出て行ってもらいます。 お互いこれが一番良い選択であると信じています。 では

父と

外出自粛から、非常事態宣言、そして会社の休業。 私は仕事が休みになり、とっても暇。 ここ2週間、久し振りの長期休業となり、暫くは時間を持て余す日々でした。 仕事をしていないと、夜にお酒を飲んでも美味しくないという事が分かりましたね。 借金の用立てに、実家の親に会いに行ってきた。 コロナウイルス対策としては、親に会いに行くことはダメなんですが、 この状況で資金繰りが破綻しそうなので、そんな事も言ってられなく、 細心の注意を払いながら行ってきたのです。 父は今年90歳、庭の植木を見ながら、 「木々の緑を見ていると、心が休まる」 「若いときはそうでもないかも知れないけど、、」という事を話してくれた。 春の日差しを浴びて、草木の緑が綺麗だった。 「僕は2回死にかけていて、こんな年まで生きているなんて恐ろしいね」 と冗談みたいに言っていたけど、 「死ぬのは怖くない、前に心筋梗塞で入院した時も、全く覚えていない」 という話も最近はよく聞く。 よく聞くというのは、だいぶ年を重ねた肉体なもんだから、脳の回路も古くなり、 同じ事を何回も言うようになっているから。 ついさっき聞かれた事をまた聞かれるのです。 家族は慣れているので、さっき話した事をまた聞かれても、はじめての話題のごとく自然に同じ会話を繰り返すようになっています。 最初の頃は、「さっきも同じ事を話してたよ!」ってイライラしていたんですが、もうそんな事もなくなりました。 昭和の記憶をもっと聞きたいので、まだ父には生きていてほしいです。 ではー