奇跡の子

息子の事を書いてみようと思う。

息子は今小学校2年生。
娘が生死をさまようこの状況は息子がいなかったらどうなっていたかわかりません。僕は人生すべての希望をなくし、きっと家庭は崩壊していただろう。
そういう意味で、息子がいてくれて良かった、生まれて来てくれてよかったと。

実は上の子(娘)が生まれてから、妻の生理不順が何年も続いていて、妻は婦人科で治療を受けていました。
そんな状態でしたが、上の子が生まれてから3年くらい経った頃に妊娠したのです。産婦人科の先生も驚いていたそうです。

まさかの第二子を授かったのです。上の子とは4つ違いで、生まれ月も同じ一月。
雪が何度か積もった冬でした。

切迫早産で入院したのも上の子と同じ、ホントに大変でしたね。
3歳くらいの子供がいて、しかも保育園も行ってない、それで母親が入院してしまう。今から考えるとどうやって乗りきったのか不思議になる。

第二子が生まれてからすぐに、僕は神戸に転勤になったのですが、その時は会社の上司を恨みました。新生児を抱えて引越しするのかと!

上司の言葉はこう、「新生児でも新幹線乗れるでしょ」と。そりゃそうだけど、引越しって大変よ。

この時は妻には苦労させたと思う。0歳児と幼稚園に入園する子供2人抱えて、全く馴染みのない土地に引っ越す事がどれほど母親にとってストレスフルか。

息子は母乳を飲んですくすく育ちました、4歳上の娘と一緒に育てられたので、言葉も早かったように思う。
トラブルもなくて、友達とも仲良くしてるし、学校の宿題も自分から進んでやるし、手のかからない子。

姉の事はほとんど口にする事はなく、これまで通り明るく振る舞っている。焼肉の食べる分が多くなってよかったと冗談混じりに話してた事はあったかな。

でも、ある時友達に姉の事を話したらしく、

「死んじゃってるのに何で焼かないの?」
と聞かれたらしい。

その問に何と答えたかは分からないけれど、幼いながら、僕の家に起こっている事はよく分かっているんだと思う。

あと、息子に「お姉ちゃんは何であんな風になっちゃったの?」と聞かれた事がある。
僕は、真面目に「脳の大事なところの血管が切れて、出血して、それでね…」と続けようとした時、

「もういいよ」

と涼やかな表情で話を遮られた事がある。

僕ははっとした。それ以降、娘の病状についての詳しい事は話していないが、息子はあの時どうして「もういいよ」って話を途中で遮ったのか。
詳しい本当の事を知るのが怖いのか、とも思ったけれど、その時の息子の表情はそんな風でもなかった。

後でこのエピソードを産業医の先生に話したら、きっと息子は、父親が自分を子供扱いしないで、きっちり説明しようとしてくれた事に安心したのではないかと言っていた。
そうかもしれない。

息子が大きくなったら、聞いてみたい。でも、その時には忘れちゃってるかな。

ではー

コメント

このブログの人気の投稿

長期脳死

僕には、どうしても、娘は死んでいるとしか思えない

仕事を休んでいます