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良いお年を?

来年が良い一年になるかなんてわからない。 とにかくその日一日、ベストを尽くすだけ。 夜はきちんと寝て、次の日の昼間をしっかり過ごせるようにする。 そういう、その時その瞬間の過ごし方にベストを尽くす。 だから、来年一年スパンの物の言い方に居心地の悪さを感じる。 今夜もいつもと変わらない休日の一日。 年越しなんて関係ない。 ほらみろ、もう今年の大晦日が過ぎて行くじゃないか。 そして、明日は元旦がいつもと変わらない休日として粛々と過ぎて行く。 では

鴨川シーワールドに行ってきました

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  シャチすごいよ。喰われたらひとたまりも無いよ。

昔住んでいた部屋の夢

今朝も見た、たまにみる同じような夢。学生の時に住んでいたアパートの夢。 その頃の夢じゃなくて、今のそのアパートの夢。 もう引き払って、僕は住んでないはずなんだけど、何故か荷物はあの時のまま。 アパート自体がリフォームされていて、隣の部屋と自分のいた部屋がふすま一枚でつながっていたりする。 入ってちゃいけないと思いながらも、ドアを開けて入る。隣の部屋の住人が帰ってきて、ハラハラしたりする。 僕は、この荷物どうしよう、引き払わなきゃならないのに、まだそのままだよ、どうしよう、大家になんて説明しようなどとと考える。 そして目が覚めて、もう引っ越したから大丈夫なんだよなと改めて自分に言い聞かせる。 たまにみる夢なんだ。変な夢だよ。 では

重石

もう既に日常になっているはずなのに、いつも心の中に重石がある。 なにをするときも、いつもその重石に触れる。 仕事をしているときも、風呂に入って体を洗っている時も、その重石が気持ちの流れの邪魔をする。 だんだんと重石は小さくなっているような気もするけれど、その重石にはまだ角があって、ふとしたときに、僕の感情に突き刺さる。 こんな日常がつらい。 本当は、仕事を投げ出して、ずっと娘の傍でオロオロしていたい。 僕はそんなに強くない、弱っちろいんだ。 心の中の重石はなくなる事はないだろう。でもいつか小さくなって思い出さなければ気づかないくらいに小さくなるのだろうか。

落書きひとつ

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こういう落書き一つ見ても、こんなに楽しかった事がこれからはなくなるんだ、という事を考える。 それがとてもさみしいんです。

たまにはどうでもいい事を

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写真は、マリオのフィギュアが入ってるチョコエッグのフィギュア。最近は息子が毎日買っている。子供は整理するという事をしないから、すぐにバラバラになって、手がなくなったり足がなくなったりするんだよなあ。 では

逆もある?

脳死じゃなくて、脳生 ALSという病気がある。 だんだん筋肉が弱くなっていく病気で、最後には呼吸するための筋肉が動かなくなって死に至る。もしくは呼吸器で生きることになる。 意識はしっかりしているのに、だんだんと体が動かなくなって、自分が死んでいくのを待つことになる。 似た病気には筋ジストロフィーというのがある。これもALSと同じようになる。 病院で、あの部屋に入ったら最後、もう元気に出てくることはできないということがわかりながら過ごす日々は、想像を絶する。 娘と逆だと思った。 娘は、体は元気だったのに、ある日突然、脳の機能を失って呼吸器の生活に。 本人は脳死だから、自分が死に行くという意識はない。 いや、そうだといいが。 なかなか終末期医療は難しい。 では

お盆

お盆がやってきた。 娘はまだ病院にいるけど、脳は死んでる。 娘の好だったものを買って来て、魂を迎えようか。 では

死ぬのは怖くないよ

娘は、まだ心臓を動かしているけど、きっと脳は死んでいる。 僕は、普通に仕事したり生活しているけど、いつもこころの奥底に硬い物があるような気がする。 もう僕は死ぬのは怖くないよ。娘に会いにいけるのだから。 では

どこまで苦しめばいいのですか(Day77)

娘が病院に運び込まれてから77日目、いまだに娘の心臓は動いている。 もう目を覚ますことは無いのに、この状態でまだ数ヶ月過ぎることになりそう。 時々肺炎をおこすので、抗生物質を投与しています。 抗生物質の投与も止めていいと先生には言いました。 けれど、いまやっている治療を途中で止めることはできないそうです。 いまの肺炎が落ち着いて、次に肺炎をおこして、薬を投与するようなことになったときに、親に判断を求めるということらしい。 人工呼吸器も、痰が詰まったりして機能しなくなるので、管を取り替えるという。 もし気管がむくんでいたりして、管が入らなかったら、気管切開するって。 呼吸の確保は命にかかわることだから、これは、親の判断も求めずに行うそうです。 もう、僕らが選択できることなんてなくなってしまっているみたいな。 娘は病院のものになっちゃったような気がする。 生きてもいないし、死んでもいない。 いや、やっぱり、生きてるのだろうか。 いろいろな考えがめぐる。 病院としては、抗生物質の投与は止めていいけど、呼吸器は止めることはできないって。 足の床ずれの後はぜんぜん直らない、なんだか目もむくんできていて白目がぶよぶよした感じになっている。 注射針のあともなかなか直らない。 もういいよ、十分がんばった。もうやめようよ。 僕たちどこまで苦しめばいいのですか。 AKBのポスターがたくさん貼られた娘の部屋でため息、、確かに娘はここにいたんだ。 では

授業参観(Day60)

今日は息子の授業参観でした。 こういう行事がやたら疲れる。 念のため娘のクラスにもいってみたけど、娘の分の机がひとつ空いていました。 名簿にも名前は載っているけれど、娘の姿はそこにはない。 そんなことわかりきっているのに、なんで娘のクラスを見にいったのか、自分でもよくわからない。 息子は一年生のクラスで国語。 あいうえおの発音の練習。 退屈そうだった。簡単すぎるのかなあ。 もう5月の連休だよ。 娘の心臓はいつまで頑張るのかな。 もう頑張らなくていいんだよ。 では

学校(Day52)

今日は、これまで娘の担任をしてくれた先生たちに娘に会ってもらった。 1年生と2年生のときの先生は、大きくなったね。って。 3年生のときの先生は、やっぱり顔を見れて良かった。って。 もしよければまた会いにきてくださいって言った。 いいよね。 もしかしたら、僕ら親よりも娘と接してた時間が長かっただろうし。 冷たくなってからじゃさみしいもの。 2月の授業参観では教室で立方体をしっかり作ってた娘なのに。 では

(Day49)

今日で49日目。会社に行くまえに、ちょっとゆっくり娘に会いにいって来た。 ここしばらくの間に、娘に会いに来てくれた皆さん、ありがとう。 みんな僕たちにかける声もないんだろうけど、 ある友人が電話をくれてかけてくれた言葉。 「かけることばもないんだけど、奥さんとかお前が早く元気になってほしい」 この言葉がいちばんこころに染みた。 まだ娘は病院でがんばってます。 誰かを待ってるのかなあ。 では

誰かを待ってるのだろうか(Day42)

「娘は誰を待ってるんだろう」 とは妻の言葉。 娘はまだ病院で心臓を動かし続けています。 少しずつ、娘がお世話になった人に、病院に来てもらっています。 これまで悩んだけれど、息子にも、娘に会わせました。やはり、お別れは必要だという事で。 もしかしたら、娘は、親友にお別れがしたくて、今も生きているのだろうかとも思う。 学校の友達は、娘の本当の状態を知らない。子供たちがショックを受けるだろうから、子供たちに娘の事を伝えるのは学校に任せてます。 こないだ緊急地震速報があったときに、娘の携帯に娘の友達からCメールが届いてたのに気づいた。 「元気になったらまた遊ぼうね」 というようなメールだった、今も返信出来てなくてごめんなさい。 新学年、娘は5年生のクラスの名簿に名前が載りました。校長先生が5年生の教科書を用意してくれましたが、受け取りませんでした。 また、今日は息子の入学式でした。 学校に提出する家庭の調査書。 同居家族の欄に記入しようとして、ふと手が止まった。 まだ生きてる。 娘の名前を書く。 なんというか、複雑な感情がこみあげる。 あの、雪の降る日から6週間経って、季節が変わった。 桜が咲いたよ。 弟が1年生になったよ。 では

(Day30)

酸素飽和度が下がって、呼吸器の酸素濃度が上げられてたらしい。 わかっていた事だけど、いよいよとなるとハラハラする。 わかっていた事だけど、何とか落ち着かなければ。 あの一ヶ月前からわかっていたじゃないか。決まっていたんだよ。 でも、ブログでも書いていないと、電車でじっとしてられない。 あと3駅だ

過去しかない(Day28)

娘が病院に運ばれて、あの子の脳が機能しなくなってから28日目になります。あれから4週間だ。 4週間前の水曜日のあの朝が何度も思い出される。 生きていたときは、娘の未来の事をいっぱい考えたのに、 いまはいくら考えても、娘の未来が考えられない。 生まれてから10年経った。 あと10年で成人式、 中学生になったら下の子は3年生だ、 掛け算が出来なくても高校はいけるのだろうか、 とか考えてた未来が全部なくなった。 過去しか無いよ。 他の人が亡くなったというニュースを聞いても、ここまで考えないよね。 人が死ぬってこういう事なんだな。 何度も思うけど、死は個人的なものだ。 今朝病院に行ったけど、まだ娘の心臓は動いてる。 酸素飽和度が下がって、呼吸器の酸素の濃度が上げられてた。 では

やっぱり涙は枯れない(Day27)

学校は春休み。 小学校に、娘の荷物をとりに行きました。 娘の作文や絵、ついこないだまで生きていた証の数々を受け取りました。 お友達が娘あてに書いた手紙まで、、 涙はやっぱり枯れない。 娘の心臓はまだ動いてます。今日病院に行ったら、低体温になってた。 4月になれば、5年生のクラスの名簿に名前が載るでしょう。 それまでもつのかどうかわかりません。 でも、もう娘が学校に通うことはないんです。 あ、娘の上履きを持って帰ってくるの忘れた。 では

娘へ(Day24)

僕は、あなたにとってどんな父親でしたか? もう何もしてあげられない。ごめんなさい。 あなたは、休日とか、やる事がなくなると、すぐに「暇だ~、なにすればいい?」と言ってきたよね。 疲れてる僕は、自分で考えなさい、暇なら宿題でもしなさい、って突き放したりもした。 今から考えると、短い人生をできる限り濃く生きようとしていたのだろうね。 もっとかまってあげれば良かった。 僕の娘に生まれて、幸せでしたか? あなたはAKBにはまり、コンサートの映画館生中継上映に一緒に行ったよね。 いつのまにか僕もAKBのファンになってました。 いつか劇場公演も一緒に行きたかったけど、もういけなくて残念です。

親として今できること(Day23)

娘の担当医師が、今後の事を話したいというので昨日、妻と病院で先生と話して来ました。 医者は、今後、気管切開してより長期間、呼吸器を持続させるようにしたいと言うつもりだったらしい。 でも、私たちは反対です。 娘の脳が死んでいる、いわゆる脳死の状態である事を、医師の言葉で確認しました。 そして、もうこれ以上、心臓を無理やり動かすなど状態を安定させる措置はしないでくれ、最低限体の形が崩れない程度の対応をしてくれ、と言いました。 つまり、脳死を越えて個体死になるようにしてくれという事です。 これをいう事が親として今出来る唯一の決断だと思っています。 これらの言葉を私たちがどんな気持ちで言ってるか、医療者は想像出来ているのかな。 あと、へらへら笑いながら対応されるのは不愉快だ、ともはっきり言って来た。 これから娘の体は下降線をたどり、近いうちにその時がくるでしょう。 でも、もう脳は死んじゃってるんだもの。 昨日の医師とのやり取りが何度も頭の中をめぐる。あの1時間くらいの私たちとの対話の中で、若い担当医は何か感じてくれただろうか。 まだ救命できたと思ってるのだろうか。すでに救命できてないじゃん。 マニュアル通りに行かなくて、面倒な家族だなと思ってるだろうか。 これまでの日々は何だったんたろう。 また、涙が出るようになりました。 これから、会社の先輩のお葬式にいってきます。 死ってほんとに個人的なもんだなあと思う。 では

悪魔(Day22)

この時間はいったいなんなの? 娘の状態は、 副腎皮質ホルモン放出ホルモンがでないから、おしっこの量も不安定で薬で制御している。 体温調節ができなくなってるから、体温で体の状態を把握することはできない。 これって、視床下部が壊れちゃってるんじゃないの? 脳波はフラット、まぶたもピクリとも動かない。 脳死でしょ もう僕たちは娘は死んじゃってると思ってる。 なのに、点滴で栄養与えて、機械で呼吸させて、薬で代謝整えて、、、 なんのために? 死体を弄んでいると思えるよ。 いったん呼吸器つけたらはずせない。法律と倫理上。 脳外科医も早々とさじを投げている状態なのに、 呼吸器を勝手につけといて、いったんつけたらはずせないだと、、、 なんなんだよ、ずいぶん勝手で無責任じゃないか。 医者はニコニコしながら「安定してます」。 マニュアル通りに体が動いてさぞ満足だろうが、僕たちは、そのへらへらした態度が不愉快だ。 医療者が悪魔に見える。 医者は、僕らの気持ちなんて考えないのかな。 いつまで僕たちを苦しめるの? 「現代医療は地獄だよ。」とは妻の言葉。 早く死なせてやってくれよ。娘の魂も報われないよ。 早く供養させてくれよ。

不思議なこと(Day21)

倫理って、私たちのためのものでなくて、医療者を守るためのものだということがよくわかった。 話はかわるが 不思議な事がある。 いつも娘と一緒に過ごしていた息子の事。 息子は姉とは4つ下で、よく喧嘩もしたけど、いつも仲良く過ごしていた。 その子が、「姉は帰ってこないのか?いつ帰ってくるのか?」とは一度も私たちに聞いてこない事だ。 もしかして、もう帰ってこない事がわかっているのだろうか。 やはり、娘はすでに天国なのだろうな。 息子はわかってるのかも。 天使は息子に囁いてるのかもしれない。 息子には天使の声が聞こえるのかもしれない。 では

いま僕にできること

いま僕にできる事は、 冷静にいま何が起こっているかを理解して、判断し決定する事。 息子を健やかに育てること。 自分たちの人生を大切に自分なりに精いっぱい生きること。 これ以上でも、以下でもない 医療の事について、いろいろ思う事はあるが、それはまた今度。 では

ぬけがら(Day20)

もう抜け殻なんだよね。 昨日、久しぶりに、夫婦そろって娘の病室を訪ねました。 下の子がいるため、休みのときは僕が下の子のケアをしているため、 なかなか、一緒に病室に行けることはありませんでした。 改めて夫婦で、冒頭の言葉を確認しました。 ピクリとも動かない まぶたを持ち上げると、もう目は死んでる・・・ しばらく、バイタルのモニターを眺めていました 心臓は動いているけれど、娘はここにはいない この医療行為に意味はあるのだろうか? 最初の日、娘の頭部のCT画像を見たときに分かっていたんです 素人が見ても、これはもうだめかもって思った これ以上、なにもしなくていいよ もう天国に行ってしまったんだから

涙は枯れる(Day16)

涙って枯れるって事がわかった。 もう涙をながす事がなくなってきた。 ただ日々がすぎるのを待つだけ。 娘は昨日から小児科の病棟に移りました。 僕は、仕事にもどってるけど、気分は最低、、 「お子さんどうだったんですか?」 聞かれることもあるけれど、うまく答えられない。 かろうじて、「小康状態です」と答える。 もう、目を覚ますことはないんです。なんて、仕事仲間に言えない。 つらいなあ、この状況。 運命は厳しいなあ。 では

変わっていく日常(Day14)

あの日から二週間経ちました。 今日はいい天気、でもまだ寒い。 娘は今も病院でねています。娘の時間は止まっているのだろうか、それともすぎているのだろうか。積もっているのだろうか。 それでも、僕の時はすぎて行く。 娘の居なくなった日常を過ごさなければいけない。 会社に居ても、ふと娘との思い出がよみがえり、しばし呆然とする。 昨日、医師から妻に、その時が起こった場合、親が病院に到着してから死亡確認をするか、それとも到着前に死亡確認をしていいかという話があったらしい。 今日は早めに仕事を切り上げて、娘に会いに行って来たい。 では

時は降り積もるもの(Day13)

「時は流れない、雪のように降り積もる」 という見出しが昨日の新聞に載っていたそうです。 時は止まっているようでも感じられ またすぎて行くようにも感じるし あの13日前が忘れられない だんだん、娘の居ない家が日常になってくるのが怖い 埃のたまるのが少ないよ、掃除機かける頻度か少なくなって 娘が居ないから、麦茶も、オレンジジュースも減らない かわいそうな我が子 天使と話したい あの子は今どうなってるの? では

死とは個人的なもの(Day12)

今日は大津波から一年です。 「死とは個人的なものである」 と誰かが書いていた事がここしばらく思い浮かびます。 一年前の災害の時も心を痛めたのは確かなんですが、僕の身内で亡くなった人はいなかった。 娘の死とは次元が違う。 こんなにもつらい事がたくさんの人に降りかかったんだなと、思う。 娘の心臓は今も動いてます。 でも二度と目をさますことはない。 どうすりゃいい? 先が全く見えない。 では

倫理って、誰のため?(Day11)

奇跡は起こるのかな? 「たまにもう無理だと思ってた患者さんが、信じられない回復をする事があるんです、私たちはその奇跡を期待して看護にあたってます。」 そんなことを昨日看護師さんと話しました。 ドクターも、小児の特殊性として無理と思われる状態からの改善が稀にある、って説明してた。 なら、症例みせてくれよ、英語でも読むから見せてくれ。 改善って言ったって、どこまで改善するのやら。 呼吸器入れちゃったから、もう外せないだけなんじゃないの? 医療者側の都合でしょ 無理やり生かされてる 「いまの治療をやめるのは、法律上、倫理上できない」先生の説明です。 誰のための倫理なの? 誰のための医療なの? 僕らの気持ちを考えてよ。 現代医療は地獄だよ いろんな思いが駆け巡る。 昨日、礼服を作りに行きました。娘の葬式のための礼服です。 おしゃれ好きの娘の事だから、アジャスター付きの礼服ズボンなんてダサいっていうんじゃないかと思って、イージーオーダーです。いや、そんなとこ気にしないかもしれないけどね。 出来上がるまで2週間。 もっと長く娘の心臓は動くような気がする。 きっと脳は死んじゃってるのに。それなら早く供養してあげたい。 天使と話せるなら、聞いてみたい。 娘は天国に行ったの?生きてるの? では

魂はどこにいったの?(Day10)

娘の意識が無くなってから10日目になります。 心臓は動いてる、けれど呼吸は人工呼吸器がやってる。 おとといとってもらった脳波は平坦。 生きてるの?死んでるの? 魂はどこにあるのか考えてしまいます。 心臓に魂はいるの? まだここに魂はいるの? ネットを見ても答えがあるわけでもなく。 リビングをうろうろしながらぼんやりする。 もう涙も出なくなりました。 ウィキペディアを見ると、国によって脳死のとらえ方に違いがあるみたい。 イギリスでは脳幹が機能しなくなったら脳死みたいだ。 日本の脳死判定基準も満たしていそうな気がする。 そうすると、娘はもう死んじゃってるんじゃないの? いつもだんどりの悪い僕を娘が知っていて、準備の時間を娘がくれたのかな。 僕はいま、礼服を持っていないので、今のうちに作りに行ったほうがいいのかな? 有給休暇を8日費やしたことになる。来週から出勤できるのだろうか。 では

娘の脳波

昨日、娘の脳波をとってもらいました。 初日にとった時と同じように、脳波は平坦で、有意な活動は認められなかったそうです。 全身状態は安定してきているものの、体の動きや、自発呼吸も認められない。 一般的に考えると、脳機能の改善の見込みはほとんど無い。 しかし、小児の特殊性として、一般的に不可能と考えられる状態からの改善を認めることがごくまれにあるが、可能性は低い。 という先生の説明でした。 脳死ってどういう状態のことをいうんだろうって考えてしまう。 もう娘の脳は死んじゃってるんじゃないのかな。 娘はもう天国にいっちゃってるんじゃないのかな。 でも、先生は、「医師でも戸惑う状態なので、、、」 と言っていたので、はっきり脳死という言葉はまだ使えないのかもしれない。 今の身体の状態では、よほどのことが無い限り心臓が急に止まることは無いそうです。 悪くなることがあるとすれば、呼吸器がついているので、そこからの感染症など。 自分で呼吸してなくて、機械が呼吸している。 これって、生きているといえるのだろうか。 妻は僕よりもわりと早い時期に冷静になってきて、「あの子の運命として受け止めるしかない」と言っている。 彼女はICUに勤務したこともある看護師だから、僕よりも現実を正確に感じ取っているのかもしれない。 では

娘に起こった事

投稿していいものか、とても悩みました。 僕には娘と息子がいます。 娘は小学校4年生、息子は6歳で4月から1年生。 今、僕の娘は、病院の集中治療室にいます。 脳出血による意識障害、自発呼吸できず、人工呼吸器で生きています。 意識は無く、もう意識が戻ることはないでしょう。 2月29日、雪の降る朝でした。 午前4時くらいに娘が突然頭が痛いと泣き叫びました。 かかりつけの24時間対応してくれる病院に電話しました。 状況を伝え、救急車呼んだほうがいいか聞きました。 「いや、それは必要ないんじゃないかな」との答え。 「お子さんは起きていますか?」 といわれたので、泣き叫ぶばかりではっきり状況を聞けませんと答えると、 「意識がはっきりして、まだ酷いようでしたらまた電話してください。」 といわれました。 そうこうしているうちに、娘はベッドによこになり静かになりました。 ぜーぜーと苦しそうな息はしていましたが、僕も眠かったし、寝てしまったのだろうと思って、そのまま朝まで寝ました。 たまに吐くような音がするので、吐いたものをティッシュでぬぐったりしましたが、風邪でもひいたかな?位の気持ちでした。 朝が来て、いつも起こす時間に声をかけ、肩をたたいても、娘は、さっきのままの姿勢。 よく寝てるなと思って、そのまま20分くらい待ちました。 起きる気配がなく、妻を呼びました。 たたいてもつねっても反応がない。 すぐに救急車を呼びました。 すでに意識はなく、酸素飽和度もとても低い状態でした。 そのときは、何が起きたか分かりませんでした。 下の子がいるので、妻を家に残し、救急車に一緒にのって病院へ。 自発呼吸がほとんどできていない、と救急の人は言っていました。 娘の唇が真っ青でした。 ERでしばらく処置された後、先生が来て、 「お母さんもできるだけ早く呼んでください、会わせたい人がいたら呼んでください」 すでに、そんな状況になっていました。 前の日の晩までは、いつもどおりだったのに。 先生の話では、脳の出血が酷くて、もう手を施すすべが無いそうです。 こんな若い子供がこのような出血をするのはありえなくて、もともと生まれつき血管に異常があって、それが、いま出血をおこしたのではないか、それ以外は考えられない。