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山登り元年

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去年から今年にかけては、激動 22年7月転職 そしてまた 23年6月転職  今に至る 今の会社では仕事もたくさんいただき、それなりに責任あり期待もされている、と思う。 報酬も増えて、年齢相応の収入を得ることができ、税金もたくさん払えるようになった。 やっぱり疲れるが、やりがいもあるかな。 元気になった。人生捨てたもんじゃないなと。 山登りが趣味になった 平日にやり残した資料作りを休日返上してやったり、休みに勉強したりと、遊びに行くようなことはしばらくなかったのだけど、今年から山登りに行くようになった。 最初は高尾山。 5月に引っ越しをして、東京の西に近いところに住むようになったのが大きな影響だったと思う。 5月の連休に一人で行ってみたら、はまってしまった。 登山口のケーブルカー駅 何回か高尾山に行き、埼玉県小川町の山に行き、 夏には、上高地、那須岳 友人と、木曽駒ケ岳、 紅葉の時期に八ヶ岳の白駒池からにゅう、天狗岳。 そして11月には、上高地から唐沢カールまで。 こんなに外に行くようになるとは思わなかった。

とにかく食欲がなくなる|コロナ自宅療養体験記

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  7月の終わりから20日間ほど、僕はコロナウィルス感染症にかかっていました。ちょうどオリンピック期間、回復したときにはオリンピックは終わっていた。 僕は高校生の息子から感染しました ちょうど息子が夏休み期間に入る頃、部活の顧問から、理由はまだ言えないがしばらく部活を中止としますとの連絡がありました。なんか変だねぇと話していた。 すると次の日には、学校でコロナ感染者が出たので、終業式は息子の学年だけ休校とするとの連絡が来たのです。程なくして、息子は発熱、どうやら部活ではなく、学年かクラスでクラスターが発生したという事がわかりました。 僕はその時点では、濃厚感染者。発症しなくても息子が治ってから14日間は仕事も行かないでくれと、保健所から言われました。息子が治るのに10日間、そこから14日間仕事ができないという事になります。ほとんど1か月も! そうなってくると、自分が感染してしまった方が仕事に戻れるのが早いという事になる?などと考えていたけど、まもなくそんな事どうでもよくなる状況に突き落とされることになります。 コロナ療養のためのホテルには空きが無いらしく。ホテル療養という選択肢は無いようだし、じっと待つしかないかなぁと2~3日思案していたら、案の定というか、僕も症状が出始めてあっけなくコロナに感染してしまいました。 昨年、兄の家族がコロナウィルスに感染した時は、家族5人のうち3人がホテル療養となっていました。その時、兄の家族では無症状の人も居たし、5日程度で熱が下がるというので、ちょっとの我慢で治るんだろうと楽観的に考えていました。 息子は1回しか解熱剤を飲まなかったし、僕が発熱した頃には、息子の熱も落ち着いていた。 一週間の辛抱だと、まだその時は思っていました。 でも改めて聞くと息子もかなり苦しかったようです。 とにかく食欲がない自宅療養 昨年の兄のホテル療養では、3食のお弁当が支給されていたとの事でした。 では、私の自宅療養の場合はどうだったか。 感染が判明してから、保健所から状況の確認の電話があり、症状や発生までの行動を確認された。その時には、ホテル療養を希望するかという事は明確に確認されなかったように思う。会話の流れの中でホテル療養の話になったことは確かなのですが、ホテルは既にいっぱいとのことで、こちらが希望したとしてもすぐには入れないというような事...

父が亡くなりました

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  父が亡くなりました。90歳。 やっぱり人は死ぬのですね。 コロナワクチン接種が予約できたから、連れて行ってくれないかと、姉から頼まれ連れて行って3日後くらいでした。 今から思うと、ワクチンを打ちに行く前に頭に違和感があるって言っていたけど、その時から兆候があったのかな。 ワクチンを打った3日後、気持ち悪くて、食欲もないって言っていて、病院に連れていける?って今度は兄からの依頼で、実家に行きました。 熱もないし、しっかりおしゃべりもしてるし、胃薬を飲むとちょっと良くなったって言ったりしてるから、ちょっと様子を見てみようかという事になりました。 僕も、病院まで連れていくのが面倒だなと感じていたのも事実でした。 でも夕方近くなって、やっぱり医者で見てもらいに行くと本人が言い出しました。一人でも出かけていきそうな勢いだったので、改めて近所の町医者に電話して、連れていくことになりました。 いつもかかっている大きな病院の方が良かったかもしれませんが、入院させられるから嫌だとも言ってたので、町医者でいいやって思っちゃったんです。 お医者さんでは、血中酸素飽和度を見て診察しましたが異常はないので、心臓や肺の問題ではないとの診断。風邪かもしれないね、明日も具合悪いようなら、かかりつけの病院に行ってくださいとなって、その日は帰りました。 「こんなちょっとした具合の悪さは珍しいんだよな」 と父は話していて、きっといつもと違う違和感を本人も感じていたのかもしれない。 その夜に、風呂から上がってすぐ、居間で倒れていたとのことでした。 仕事から帰ってきた兄が見つけて、救急車を呼びましたが、すでに心臓は止まっていたようです。 警察からの聞き取り 家で亡くなった事になるので、警察が来ることになりました。 搬送された病院に僕がついた時には、既に霊安室でした。まもなく警察官二人が来て、兄と僕で状況を話しました。警察は最後に生きている父を見たのは誰かという事をはっきりさせたいようでした。 母が一緒に住んではいたのですが、母は前日に退院してきたばかりで、体も不自由でトイレに行くのもままならないという状態。父が風呂に入る前からずっとベッドで寝ていたみたい。 僕が起きている父を見たのは夕方18時過ぎに帰る時、それが最後のようでした。 父の遺体は警察署に移送され、その後警察が実家で実況見分をして、終...

息子が高校生になりました|今の高校生、電子辞書必須じゃん

 息子が高校生になりました。 入学後はいろいろと物入りで、授業料の他にも教材費や体操着、柔道着、もちろん制服など、結構お金がかかります。 でも前向きな出費ですよね。大きくなったなぁ 子育ては、自分の過去を振り返る機会として日ごろから楽しんでいます。自分が高校生だった頃と同じ事もあるし、違うこともあります。 電子辞書は必須? 僕は、高校でそれなりに受験勉強をしたので、息子がこれから大学受験に向けて勉強をしていくだろう事は陰ながら応援しています。 そうだ、新しい辞書が必要ではないか、と思い、子供のためにどんな辞書がいいかアドバイスできる自分はエライ~など勝手に考えながら、「授業で辞書が必要になるでしょ、買ってきてあげるよ」ととりあえず国語辞典を買ってきました。 英語の辞書は、書店で並んでいるのを見るとなんだか聞いたことのない辞書ばっかりだったので、「授業で勧められたのを自分で買ってきて~」という感じにしていたのです。 しかし、自分の考えが現場と違うらしい事が判明しました。 今は中間試験前なので、授業がどんな感じなのかを聞いたりしているんですが、その時に英語の辞書はどうした?って話になりました。 すると、どうもクラスではほとんどの人が電子辞書を使っているようです。 紙の辞書を使っているのは、自分を含めて3人くらいだよ、と。 僕としては、近くにある他の単語も目に入ってくるという利点があって、重くてもめんどくさくても、辞書は紙のページをめくる事に意味があると思っていました。 (おじさんになった今では、スマホで英単語も漢字も調べちゃうので辞書をめくるのは年に1回あるかないかですけどね。) そんな僕が、息子のある一言で電子辞書めっちゃ必要じゃん、ってなったのです。 電子辞書は必要ですね 息子によると、英語の授業で「じゃあこの英単語、英英辞典で調べてみて~」って生徒に調べさせることがあるそうなのです。 みんな電子辞書を持っているので、電子辞書に入っている英英辞典で調べるんですが、英英辞典なんか持参していない息子は、隣の人に検索結果を見せてもらい、ふーんっていうだけなんだそうです。 1台持っていれば、ほぼすべての辞書が入っている電子辞書。英英辞典はもとより、広辞苑、ものによってはスペイン語のとっさの一言なんかまで入っています。これは便利です。 授業中にスマホは使えないのか?な...

そうだ、ふるさと納税やってみよう

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 年末が近づいてきました。 みなさま、ふるさと納税してますか。 ふるさと納税は、 所得控除じゃなくて、税額控除なので、ほんとに やらなきゃ損 ですよ! 周囲から絶対にやらないと損だと言われ続け、今年こそやるぞと決意し、やってみました。 肉、カニ、コメが定番なのでしょう。どれもおいしそうな贅沢品のように見えます。 なかには、パソコンや家電製品もありますが、めっちゃ高いのできっとこれらはふるさと納税の上限を超えているのでパス。 で、目についたのが、牛タンです。 花巻市のふるさと納税で12,000円寄付すると、牛タンの返礼品が貰えます。 味付けしてあって、真空パックにしてあるので、使いやすそうです。 ふるさと納税には、所得に応じて寄付できる額に上限があります。計算がちょっと面倒なのですが、 ふるさと納税サイトに行くと、その上限が計算できます。 収入と、社会保険料や生命保険の控除、扶養の状況などを入力すれば、一発で出ます。 すると、 上限額、11,000円ほどで、もう上限になってる? ていう事は、所得がそれだけ低いという事だと思うんですが、なんか計算まちがってるかなあ。 去年の数字で計算してるから、もっとできるかもしれないなあ、とか。 いろいろと考えてしまうわけですが、年末に源泉徴収票が出たタイミングで、もうちょっと精密に計算してみます。 大事な事なのでもう一度言います。 ふるさと納税は、所得控除じゃなくて、税額控除なので、ほんとにやらなきゃ損ですよ!

睡眠から考察する仮想現実のリアル

 このブログも、何年も更新していなかったものですから、誰も見ていない状態になっていますね。 以前は一人くらい見てくれる読者がいたんですが、今ではゼロです。きっとゼロです。 書きっぱなしのサイトとして、逆張りの発想でやり続けるのもありなのかもしれません。 というわけで、どうせ誰も見ていないので、安心して好き勝手なことを書いていこうと思います。 しばらく前から思っていたことがあります。 この世界の真理を見つけてしまったかもしれないんです。 万を持して、この壮大な理論を公開してしまいます。 今の仕事を始めて、勤務するたびに徹夜状態で帰ってくるのですが、 ほんとに眠くて、とりあえすシャワーを浴びて、何か食べながらビールをちょっと飲んで、眠いのを我慢できずに泥のように眠ります。 まさに「泥のように」 これを、ひと月に12回繰り返す日常がどんなものかお分かりいただけますでしょうか。 次の日の朝まで仕事はないので安心して眠りにつくので、たんなる徹夜仕事とは違いますが。 それで、眠りについて考えるようになりました。 ヒトはなぜ眠らないといけないのか? ヒトに限らず、生き物は眠ります。 動物のドキュメンタリー番組などで、野生動物がどうやって寝るのかという話がありますよね。 野生動物にとって、寝ているときは最も天敵に狙われやすく、危険な状態だと。 イルカなんかは、右脳と左脳とどちらかだけ寝るという、器用なことをしているそうです。 では、そんなに生命の危険があるのにどうして睡眠をしなければならないのでしょうか。 体や脳を休めないとならないとか、生化学的に、成長ホルモンを寝ている間に分泌して、疲労を回復しないとならないとか、それらしい説はあります。でも、それらは現象を表しているだけだと思うんです。 進化の過程で、睡眠をしなくて済むような進化がなぜなかったのかと、疑問は残るのです。 どうしても睡眠が必要な理由があるのではないか 寝ている時、意識はありません。 起きたから、寝ていたんだと感じるんです。 もしこのまま起きなかったら、どうなるんだろう、って小さいころに考えていました。 一度寝たまま起きる事がなければ、それは「死」を意味する事に他ならないと思っています。 自分が自分である事を認識している事が生きている証なのに、なんで寝てしまうんでしょうか。 そうなると、どうしても睡眠という事...

協議離婚で決めたこと 離婚協議書も自作

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 離婚の話します。 離婚は結婚する時よりもずっと大変と聞きます。 確かにそうでした。 慰謝料なし、弁護士なしの協議離婚へ 慰謝料とりたいくらいの妻の問題が繰り返されたため、財産分与を慰謝料で相殺して、出て行ってくれって気持ちはありました。 慰謝料をもらうとなると、相手の非を客観的に証明できる証拠が必要になります。 不貞があったことが明白であっても、証拠がないとなかなか難しいんです。 その時に相手が非を認めていて、離婚に合意していたとしてもお金のことで後々もめるかもしれない。 不貞以外の事だとして、例えば配偶者が重大な犯罪を犯したとしても、それだけを理由に離婚することは難しいようです。 夫婦は協力して、婚姻関係を維持しないとならんのです。 第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。 中学生の子供もいるし、僕としては今住んでいる住居は手放したくない。 高校受験を控えた子供に引っ越しで負荷をかけたくないというのもありました。 友人の弁護士に相談したところ、財産分割して、妻にも今後の生活で安心感をもってもらい、円満に離婚しようという事に。 僕も、できる限り譲歩して、離婚の条件を整える事にしました。 正式には、離婚協議書というものを作り、残しておくのがベストなのですが、離婚協議書に盛り込むべき事を、とりあえず文書にしました。 この辺の仕事は、通常は弁護士さんに頼むことですが、僕は弁護士には頼まず、自作で離婚協議書を用意するつもりで進めました。 離婚協議書に盛り込むべき事は 財産分割、子供の親権、子供の面会、慰謝料、といったところでしょうか。 財産分割を分割で 一般的には、ローンが残っている住宅を売り、ローンを清算。 預貯金や高額な家財があれもそれも資産として計算して、婚姻生活の為に借りた借金があれば、それも資産と相殺して、残った資産を、50%ずつで分与となります。 それぞれに借金があり、もう借金はそれぞれの責任にして、財産分割には入れないという事にしました。 でも、家は息子と僕でしばらくは住んでいたい。 友人...

子供の中耳炎は鼻たれから始まる

 過去の別サイトの記事をこのブログに移行していますが、一つ一つコピーしている作業で過去の記事を否応なしに振り返ります。 その中で、こんな記事を書いていました。 こんなお医者さんは嫌だ 転勤先の慣れない土地で、副鼻腔炎を見てもらうのに戸惑うエピソードなんですが、命にかかわるような病気でない副鼻腔炎だけに、難しい部分もあるのかと思います。 その後も何人もの他の耳鼻科の先生に診てもらう機会がありましたが、やはりこの記事で書いているナナ先生は、群を抜いて手技が上手です。 その後、私は神戸赴任から浦安に戻ってきて、またナナ先生に診てもらう事になりました。 そのクリニックは繁盛していて、時にはもう一人ヘルプの医師が診察にあたることもあります。大人の患者の場合はヘルプの医師が担当することが多いようです、診察の痛さはまるで違います。 ナナ先生も痛みはもちろんありますが、他の先生とは段違いです。鼻腔の処置をされている間に問診の受け答えをできるくらい余裕です。 僕ももうオトナなので、他の先生でも黙って我慢できますし、改めてナナ先生の良さを実感できることに喜びさえ感じます。 耳鼻科なので、小さい子供の患者が多いです。鼻水が垂れている程度の症状でも実は中耳炎で、ほっておくとひどくなって面倒な事になるのです。 そういった小さい子を丁寧に見てくれます。乳幼児だと、頻繁に鼻汁を取らないと耳の方まで鼻汁がまわってしまい、中耳炎がなかなか治らないのです。 乳幼児の子供の鼻水がなかなか止まらなくて、耳鼻科で見てもらうことになり、耳鼻科で見てもらったら中耳炎にもなってたというケース。僕は娘で体験済みです。 子供大泣きの処置の後、 先生「では、明日来てください」 患者の母「あ、、明日ですか(汗)」 みたいな会話があ聞こえてきて、うんうん、そうなんだよ、僕も娘の時同じように「明日ですか?!」ってなったなあと。 毎日ハナを取らないと中耳炎って治らないんですよね。 明日の仕事どうしよう?ってなるんですが、今振り返ると、長い人生そんなの小さいことです。 育児頑張りましょうね。 ではー

昔のブログを移行しています

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  過去に書いていたブログサイトの記事を、このサイトに少しづつ移行することにしました。 本来であれば、ブログサービスのエクスポート機能を使って、ちょちょいとまとめてポンっと移行したいところなのですが、ダメでした。 エクスポートのファイルはテキストファイルなので、移行先のフォーマットに変換すれば、インポート機能を使ってインポートも可能なのでしょう。 エクスポートファイルはナントカファイル、Bloggerの対応しているインポートファイルはxmlで、しかも日付のタグもちゃんとしてないと日付がおかしくなるとか、とか。 フォーマットを調べて、プログラムでも使ってタグを変換するよりも、記事を一つ一つコピーする方が早いと判断しました。 15年前だったらこんなやり方我慢できなかったと思うのですが、そこまでする気力が衰えているのか、知的好奇心が衰えているのか、あきらめが早くなったというか。 とにかくあの頃と比べて大人になりました。 ちょっと記事をコピーしてみたのですが、2006年の僕の書いている事を読んで恥ずかしい気持ちでいっぱいです。 2006年3月9日木曜日 ひまな日々2 でもそんなピュアな気持ちを赤裸々に吐き出している過去の僕をリスペクトすべく、どんな内容が出てきても、記事はそのまま編集なしで移行していきます。 過去の僕としばらく向き合って、今後の人生やり直そうと思います。 では

6月の雨

今日は雨の休日。 朝からしっかり降っていて、これぞ梅雨って感じ。 梅雨の時期、休日の雨降りは好きです。 特に何も予定がなかったりすると、気持ちも落ち着いて昼寝も気持ちいい。 今までで一番気持ちよかった昼寝は、大学の時、ヨット部に所属していたことがあり、その時の合宿でのこと。 結構な雨が降って、風も強くてその日の練習は休みに。 汚い合宿所の畳の上で昼寝した時が、本当に気持ちよくて、 暑くもなく寒くもなく、波の音と雨の音も心地よかった。 ヨット部は途中でやめてしまったので、僕の中では数多い黒歴史の一つ。 そんなことで僕の黒歴史を発表 ・・・ しようかと思いましたが、とても恥ずかしいことばかりになりそうで、 黒歴史のオンパレードが耐えられそうにないのでやめます。 みんな途中でやめちゃったことばかり。 振り返ってみると、失敗の連続です。 まだまだ死ねない。 では

そして離婚

こういう日がくるとは、想定していたことなのか、それとも想定外だったのか、、 これまでは考えないようにしてきたというのが事実かもしれない。 離婚届を提出してきました。 先週、市役所に二人で行ってきました。協議離婚です。 最終的な決断に至ったのにはきっかけがありますが、ここでは詳細は書きません。 僕は無知で、幼く、とても甘かったのではないかと、振り返ってみると思うのです。 共依存、と言われたらそうかもしれない。 これからは、息子と二人で生きていきます。 イチロー選手が引退をするときに言った言葉を思い出します。 後悔はあろうはずはありません。 振り返ってみると、このかけがえのない息子を生んでくれた妻には感謝しているし、 もし、結婚していなかったらこの子と出会うことはなかったと思うと、結婚したことに後悔など一つもないのです。 きっぱりと他人に戻って、僕の人生を歩んでいきます。 数か月前、この離婚にいたるきっかけがあったときに、今の会社の先輩に相談したことがあります。 その方は、大きな企業で、部下を持つマネージャーをやっていたこともあり、 家庭やメンタルに問題を抱えた部下を持ったこともある、経験豊富な人です。 その方からすぐに言われたことが印象に残っています。 家庭に問題を抱えて仕事がうまくいかないとか、特にメンタルに問題を抱えてしまう人は、 人生のプライオリティーで自分を2番目、3番目に置いてしまう傾向がある。 子供、妻、家庭、というある程度バランスを取らないといけないものがあるけれど、 最後は自分を優先度1番にして考えないと、おかしくなるということでした。 すべてを丸く収めることはできないし、相手に譲る場面もあるかもしれないが、 自分はどうしたいのかということ、だと思います。 相手が変わることを期待してしまうと、それは自分ではどうすることもできないこと。 これからどう生きるか、未来に目を向けて生きていくことにします。 妻の住居が決まるまでは、まだ同居人として自宅にいますが、来月には出て行ってもらいます。 お互いこれが一番良い選択であると信じています。 では

父と

外出自粛から、非常事態宣言、そして会社の休業。 私は仕事が休みになり、とっても暇。 ここ2週間、久し振りの長期休業となり、暫くは時間を持て余す日々でした。 仕事をしていないと、夜にお酒を飲んでも美味しくないという事が分かりましたね。 借金の用立てに、実家の親に会いに行ってきた。 コロナウイルス対策としては、親に会いに行くことはダメなんですが、 この状況で資金繰りが破綻しそうなので、そんな事も言ってられなく、 細心の注意を払いながら行ってきたのです。 父は今年90歳、庭の植木を見ながら、 「木々の緑を見ていると、心が休まる」 「若いときはそうでもないかも知れないけど、、」という事を話してくれた。 春の日差しを浴びて、草木の緑が綺麗だった。 「僕は2回死にかけていて、こんな年まで生きているなんて恐ろしいね」 と冗談みたいに言っていたけど、 「死ぬのは怖くない、前に心筋梗塞で入院した時も、全く覚えていない」 という話も最近はよく聞く。 よく聞くというのは、だいぶ年を重ねた肉体なもんだから、脳の回路も古くなり、 同じ事を何回も言うようになっているから。 ついさっき聞かれた事をまた聞かれるのです。 家族は慣れているので、さっき話した事をまた聞かれても、はじめての話題のごとく自然に同じ会話を繰り返すようになっています。 最初の頃は、「さっきも同じ事を話してたよ!」ってイライラしていたんですが、もうそんな事もなくなりました。 昭和の記憶をもっと聞きたいので、まだ父には生きていてほしいです。 ではー

幸せは自分の中にある

起きるときは、本当に仕事に行きたくないほど気分は沈んでいた。 でも、なぜかしばらくすると楽になっていた。 体が休めたからだろうか。 今日も雨。 それでも、息子はちゃんと起きてきて、学校にいく。 素晴らしいことだ。 お話ができて、生きている。今日も起きてきたのだから。 では

猫のサロンに行ってきたよ

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近所の猫の館に行ってきました。 定期的に窓の外をパトロールする者。 なんだか去年きた時と猫さんメンバー入れ替わってた。 三毛かわいいね。 この子は、前回きた時もいた。ソファーの半分を占領して寝てた。大柄な真っ白な猫。ちょっと太り気味です。 猫はいいよな。 ではー

あれから3年

あれから3年経つ。 2月の終わり、雪の降る朝だった。 あの時娘は脳出血で昏睡状態になり、二度とお話することはなかったし、僕らと何をもっても意思疎通することができなくなった。機械がモニターするバイタルの数値さえ彼女が訴える何かを捉えることはなかった。 本当に突然のことだった。僕はうろたえ、一人でワンワン泣いた。 ついその昨日まで普通に生活し、お話しして、将来彼女が20歳になるまで頑張ろうと思っていた。彼女はその年に10歳になり、20歳までもう半分のところまできたと考えてた。それが、その日を境にお話しすることもできなくなった。これからずっと。 それが恐ろしくなった。 病院に娘が運び込まれ、人口呼吸器で心臓は動いているがもう二度と意識が戻らないという状況が分かり、とりあえず帰ろう、と車で帰ってくる道。学校の下校時間帯で、ランドセルを背負って傘をさす子供達が見えた。 帰ると妻が、 「ちいやんが帰ってこない。きっと傘がなくて帰れないんだ。学校に迎えに行ってよ!車で迎えに行けばいいじゃない!靴だって履いて行ってないよ!」 と泣きながら僕に訴えて来た。 僕は「ちいやんは、病院にいるんだ…」としか言えなかった。僕もつらかった。 仕事は手につかなくなり、会議で会社の人が話していることが頭に入らなくなった。 ちょっとした仕事をするのにも精神的に大きな力が必要になった。 その二年後に娘は病院で息を引き取った。 なんだか、ほっとした気持ちもあった。これで終わった。これからは残った僕たちの将来に目を向けよう。 でも、悲しみやくよくよ、普通じゃない気持ちが、たまに出てくる。 今でも、時折泣きたくなる時がある。思いっきり泣いて、この悲しみが吐き出せるなら楽になれるだろうけど、実際泣けないんだ。 僕は、娘の死を理由に、現実から逃げようとしているんじゃないかと思うこともある。 死んだ娘に会う方法を試した事もある。でも会えなかった。もしかしたらもうどこかで他の魂として生き返っているのかも、とか思う。 今では、なんとか仕事に行けるようになった。 仕事に集中できるようになったとは思う。 あっという間だったような、とても長かったような、時間の流れが止まっていたのではないかと思う。まるで夢を見ていたような気がして、今この瞬間も夢じゃないかと感じる...

カメラカメラ

年末にカメラを買いました。 いっその事、ニコンかキャノンのAPS-Cサイズのデジタル一眼レフにしようかとも思いましたが、踏み切れず。 これまでのレンズ資産が使えるGM-1にしました。 中古で4万円。ほとんど新品だったので即決しました。 なんでか写真がアップロードできない。 ということで、では。。

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近所にできた猫ラウンジに猫を見に行ってきました。カフェではないんですが、保護した猫を集めて里親になりたい人は仲介してくれるみたい。 オレンジ色の縞模様の毛の長い猫が足元にやってきて、僕の足に頭をのせて横になった。 猫たちは何を考えているんだろう。

平均点は誰の点数でもない

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敗戦記念日が近づくと、僕は毎年センチメンタルな気持ちになるんですが、今年はそんなことも考える暇も無いくらい、自分のことでいっぱいいっぱいでした。 今日は新聞の事を書きますね。 僕は10年くらい新聞の定期購読をしていなかったんです。 たまに、子供が学校で新聞紙を使う事があるので、駅売りとかコンビニで新聞を買う事はあったんですが、頻繁にくる新聞配達業者の定期購読のお願いはすっぱり断っていました。 でも、最近ですね、思い切りまして新聞を購読することにしました。 僕はこのまま社会不適合者になってしまうという恐れを感じてしまったんですね。 新聞くらい読んで世の中の動きを連続的にとらえる事も必要かなと感じた次第です。 僕の私見なんですが、新聞はほとんど広告ですからね、テレビと一緒。 スポンサーとかグループの出版会社の広告がほとんどだと思って読んだ方がいいです。 普通の記事もよーく読まないと、広告だと分からないように広告してますから。 でもですね、今日日経新聞を見ていましたら、まともな事を書いているコラムに出会いました、さすが日経!っていうか、すごいのは木内昇さん、コラム「ヒロインは強し」です。 岡本太郎のお母さん、岡本かの子さんについて主に書かれているんですが、導入部で木内さんが書かれているように、江戸時代は夫も育児や家事をやっていたんですね。これは僕の友人にも聞いた。明治以降の高度経済成長以降の家庭が特殊なことをみんな以外と気づいていない。 現在の常識の画一化に対する警告が最後の4行に集約されていて、いやぁ文筆家小説家っていうのは、言葉で本質を表現することに猛烈に秀でているんだなと感じたわけです。 「世の統計や他家との比較、時代性にのみ囚われると案外大事なものを見失うのかもしれない。」 この「時代性」が何を表しているかは明白ですよね、(なんか現代文の試験問題のようになってきた。) 僕も囚われていたと思う。そして、それによって苦悩した事もあった。 今一度、明治前からの歴史を学ぶべき時だと思うんです。 (それが教養ですよね、Mリンさん!) 話がだんだんそれて行きますが、 英語ができるだけでグローバル化なんて言えなくて、この教養が日本に足りないんじゃないかな。 イノベーション...

言葉では伝えられない事

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今日の日曜礼拝は、講壇交換ということで、蒲田の教会から牧師さんがいらしてお話をしてくれました。 病気になって死の間際にいる信者さんの傍らに行って、なんでこんな病気になってしまったんだろうとか言うことを、牧師さんは聞いていたそうです。 聞くしかないですよね。 と牧師さん。 いくら励ましても仕方が無いし、言葉をかけられないです。と。 お祈りもしなくていいと言われたので、しなかったそうです。 そういう時は、ただそばにいるしかなくて、共にいるだけでいいのです。 と牧師さんが話したところで、僕は涙がぽろぽろと出てきました。 娘の事を思い出していました。 意識不明で寝たきりで何も反応のなかった娘のところに行っても、僕は黙ってそばにいる事しか出来なかった。 でもそれでよかったんだと。 息を引き取る最後まで、黙って見ていた。 いよいよ息を引き取る時、もうそんな反応はないと思っていたのに涙を流し始める娘。 娘の涙をぬぐい、魂はまだここにいたのだと感じた。 確かにそこにいたという事が分かった。 そして火葬されて、水と二酸化炭素になって、地球にくまなく広がっていった。 いま僕は、いつでもどこにいっても娘の体に包まれていると思っている。 吸う空気、口にする食べ物、飲み物、すべてにくまなく娘の一部が行き渡っている。 もう、僕の悲しみというか喪失感は癒されたものだと思っていたけど、 こんなにも涙があふれるのは、まだまだ自分を癒すべき余地が残っているのかもしれない。 では

肩の痛みは水泳でよくなる?

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いよいよ夏ですね。 近所の屋外市営プールもこの週末からオープンしました。 小学校ではすでに水泳の授業が始まっていまして、息子がミドルクラスになったと報告してくれました。泳げる距離に応じて3クラスに分けて授業をするようです。 僕は小学校の時は一番泳げないクラスだったので、ちょっと嬉しかったっす。 どうやら息子はプールに行きたいらしく、毎週日曜日は友達と遊ぶ約束をしていのですが、今週はあえて友達を誘わず、プールに行く事になりました。 はじめ僕は乗り気じゃなかったんです。 なんか面倒で、午前中は日曜礼拝にもいかず横になってたくらいで。 そして行ったのは市営の屋内温水プールです。水着に着替えたまま歩いて行けるくらい近所に大人150円で入れる屋外プールが始まったというのに、まだ外のプールは水が冷たかろうとわざわざ550円の温水プールに行くくらい、乗り気じゃなかったのです。 ところがですね、イオンのせいなんでしょうか、イオンっていっても、イオンモールのイオンじゃないですよ。IKEAでもないですよ。 水のイオンです。塩素イオンもそれなりにまじっていたかもしれませんがね。 更衣室で水着に着替えて、シャワーの出る通路を通って、プールの所に出たとたん、スイッチが切り替わりました。 こんなに分かりやすいのは初めてかもしれません。 あの広々としたプールの空間を見下ろしたとき、気持ちが切り替わるのが分かったんです。 映画でシーンが変わるような感じと言えば伝わるでしょうか。 清々しい気分。泳ぎたい、と思いました。それまでのネガティブな気持ちがポジティブに反転しました。 準備運動もせず、息子と一緒に水に入りました。 調子にのって、クロールを始めたとたん、左肩に激痛がありました。 僕の左肩は昨年の夏から違和感があり、腕を大きくまわす事が出来なかったんです。 最近ではそれがひどくなっていて、肩こりのようにこわばって痛みがありました。 やはりだめかと思いながら、気をつけて泳ぎだし、しばらくすると、肩がらくになってきたんです。 これまでの肩ではないような軽さになっていました。 体脂肪率の増加も手助けしてかどうか、体は軽く水に浮き、一度覚えた泳ぎを体は忘れていなかった。 などと思いながら、肩もほぐれていく。 ...