父が亡くなりました

 父が亡くなりました。90歳。

やっぱり人は死ぬのですね。


コロナワクチン接種が予約できたから、連れて行ってくれないかと、姉から頼まれ連れて行って3日後くらいでした。


今から思うと、ワクチンを打ちに行く前に頭に違和感があるって言っていたけど、その時から兆候があったのかな。


ワクチンを打った3日後、気持ち悪くて、食欲もないって言っていて、病院に連れていける?って今度は兄からの依頼で、実家に行きました。


熱もないし、しっかりおしゃべりもしてるし、胃薬を飲むとちょっと良くなったって言ったりしてるから、ちょっと様子を見てみようかという事になりました。

僕も、病院まで連れていくのが面倒だなと感じていたのも事実でした。


でも夕方近くなって、やっぱり医者で見てもらいに行くと本人が言い出しました。一人でも出かけていきそうな勢いだったので、改めて近所の町医者に電話して、連れていくことになりました。いつもかかっている大きな病院の方が良かったかもしれませんが、入院させられるから嫌だとも言ってたので、町医者でいいやって思っちゃったんです。


お医者さんでは、血中酸素飽和度を見て診察しましたが異常はないので、心臓や肺の問題ではないとの診断。風邪かもしれないね、明日も具合悪いようなら、かかりつけの病院に行ってくださいとなって、その日は帰りました。


「こんなちょっとした具合の悪さは珍しいんだよな」

と父は話していて、きっといつもと違う違和感を本人も感じていたのかもしれない。


その夜に、風呂から上がってすぐ、居間で倒れていたとのことでした。

仕事から帰ってきた兄が見つけて、救急車を呼びましたが、すでに心臓は止まっていたようです。


警察からの聞き取り

家で亡くなった事になるので、警察が来ることになりました。


搬送された病院に僕がついた時には、既に霊安室でした。まもなく警察官二人が来て、兄と僕で状況を話しました。警察は最後に生きている父を見たのは誰かという事をはっきりさせたいようでした。

母が一緒に住んではいたのですが、母は前日に退院してきたばかりで、体も不自由でトイレに行くのもままならないという状態。父が風呂に入る前からずっとベッドで寝ていたみたい。

僕が起きている父を見たのは夕方18時過ぎに帰る時、それが最後のようでした。


父の遺体は警察署に移送され、その後警察が実家で実況見分をして、終わったのは朝4時くらいでした。


へえ、警察は故人の預金通帳も確認するんですね。


そして東京都監察医務院へ

次の日は、監察医が警察署で検死して、問題が無ければ帰れる予定でした。しかし、ここでコロナ禍の影響です。普段から病院にかかってたので変死という事にはなりにくいのですが、3日前にコロナワクチン接種をしているという事があり、解剖調査した上で死因を確定することになりました


大塚に東京都監察医務院というところがあり、そこに搬送されて検死することになります。そこは、とても静かな施設でした。故人の家族と思われる人が何組か来ていました。


係官の報告では、所見による死因として、心臓自体に酸素や栄養を送っている血管が詰まり、心臓が動かなくなったとのことでした。きっとこれが心臓麻痺とか心不全と言われるものなんでしょうね。

脳や内臓組織が取り出されて、引き続き1か月以上かけて精密な検査をするそうです。


改めて見た父は、寝ている時と同じような顔をしていました。

死んだ時ってみんなこんな顔になるんだなぁ


ワクチン接種は関係ないと思う

コロナワクチン接種の後に亡くなった年寄りとして、記録に残るんでしょうね。そういった記録の数字だけ切り出して、騒ぐ人たちは勝手にやってください。

でも、僕はワクチンとは関係ないと思っています。いろいろな条件が重なって、寿命をまっとうする日がこの時だったんだと思います。

ワクチンを打たないですむならそれはそれでいいのかもしれません。

そしてワクチン接種は、慎重に、体調のいい時、家族が近くにいられるときにやった方がいいですよ。

長く短い晩年



35年前に父は脳梗塞で倒れました。父の実母の葬式で倒れ、しばらく実家近くの病院に入院していました。母と父が寝台列車で帰ってきて、僕は東京駅まで迎えに行った事を覚えています。でも東京駅から自宅までどうやって帰ってきたかは覚えてないんですよね。


半身まひが残りその後はほとんど隠居生活でした。しばらくは仕事も再開してたように思うんですが、しばらくして仕事もしなくなりました。僕は中学生になってから、父とどこかに遊びに行ったことはありません。

そうやって30年以上を過ごしてきたのですが、90歳まで生きたのはすごい。でも、いますぐに死んでしまうとは思っていなかった。


1年前くらいにも記事に書いていますが、父はだいぶ認知症が進んでいたようです。同じ質問を何度も聞いてくる。家族の顔は認識できていたので、そこまでひどいわけでは無かったとは思います。


僕の息子が何年生になったとか、どこの学校に行っているのか、その学校の近くは駅のすぐそばまで海岸で、昔、潮干狩りに行ったことがある、とか、ひとしきりお話しした後、10分も経たないうちにまた同じ会話を繰り返す。

同じ質問が出ると、僕はさっきも話した事だとは言わず、同じ会話を静かに、何度でも繰り返していました。


短期の記憶をとどめておけない父の頭の中ではどんな世界が広がっていたのだろう。


もうひと月も母が入院していたのに、「おばあちゃんはなかなか退院できないね、もう5日にもなるかな?」と父、「いやいや、もう1か月にもなるよー」と僕。そんなやり取りもありました。周りの時間だけがどんどん過ぎていくような感覚だったのかもしれない。


旅立ちの入り口

告別式が終わって、火葬場に入った時、気持ちが大きく動かされました。涙があふれそう、でも必死に気持ちを落ち着かせようとしていました。僕は、猛烈な悲しい感情にとらわれました。


それは今亡くなった父への悲しみでは無く、娘に対する悲しみだったのです。

だから、周りの家族に涙は見せられないと思って我慢していました。本当は思いっきり涙を流して泣きたかったんですけどね。


いくつも並んだ焼却炉の入り口、他の故人の家族が何組も来ていました。そこはまるで、ディズニーランドのアトラクションに入る入り口のように思いました。ここがあの世への入り口、この先は誰も知らない世界だと。


父が旅立つ前に、娘によろしく伝えてねと言おうと思っていたけれど、そんな暇はありませんでした。僕は元気に生きているよ、離婚しちゃったけど、みんな元気だから心配しないでと、伝えてほしかった。

そりゃ、まさかいま父が死ぬとは思っていないんだから、そんな事言うわけないですよね。


もう10年近く前の事になりますが、僕の娘が脳死状態になった時、「僕はこんなになっても生きているのにね、、、」と父がつぶやいたのをずっと覚えています。


きっと向こうで、僕の娘にいろいろと報告してくれてると思います。


僕を生んでくれてありがとう、これからも、僕は生きていくよ。


今日はここまで






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