責任と権利について
夏休みに一週間どっぷり子供達と過ごして、自分の中で変わったことがある。 妻はリハビリを兼ねた仕事でまとまった休みがとれないということで、僕1人で子供を連れて妻の実家の青森。 行かないという選択肢もあったが、子供がねぶた祭を楽しみにしていた事もあり、頑張って行ってきたのです。 一年ほど前から妻の病気もあって子供の相手をする時間が増え、息子の保育園の送り迎えを僕がメインでしている。 始めは親の責任を一手に引き受け、親の責任感だけに追われて息子の保育園の送り迎え、娘の学校の保護者会等、なんとか会社に折り合いをつけて必死にやっていた。 でも、夏休が終わって保育園に行く道すがらふと感覚が変わってきている事に気づいた。 責任だけでやっているのか? いや、息子の送り迎えが出来るのは実は権利なのではないかと。 むしろお迎えはオレにやらせろと、そんな気持ちが大きくなっているかも。 責任感で一生懸命やっていた事が、こんどはこれは権利なんだと、なんか不思議な気持ちになった。 子供を大事にする、家族を大事にするというのは大きな責任であるのは確かなのだけど、向き合い方だけで、権利となっていく。 権利には常に責任がついてくるということは小学校のころから教えられていたけれど、いまになってやっとわかった。相対することではなくて、コインの裏と表。 考え方で、コインはすぐにひっくり返る。 そんな事もわからなかったの?って笑われるかもしれないけれど、この「わかった」っている感覚、実際にはわかってない人多いんじゃないかな。 文章力が乏しいから上手く伝わらないかもしれないけど、僕の中では大きな変化なのです。 いかに責任感だけにしばられていたことか? 頭だけで理解出来ていると思っている事が他にもたくさんありそうだ。 祖母は腰痛だからあまり子供をつれてあるくことはできなかった。だから子供の相手を祖母に任せることも出来なかった。 娘は祖母と2人で家で過ごした日もあったが、息子と僕はずっと一緒だった。 頑張って子供2人つれて妻の実家まで行って、正直1人になって休みたいと思った事もあったけど、いい夏休だった。 おしまい